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書評『ぼくは落ち着きがない』


▼オレらとキミらの落ち着くとこ

図書室の奥、ベニヤの合板で仕切られた部室、それをコンコンとノックする。 「なんだ?」内側に響いたらしい。 「今、コンコンっていったぞ」 「入ってまーす」

この本、かなりイイかんじ。いや、マジで。 内容を一言で説明すれば「桜ヶ丘高校図書部員たちの日常を描いた作品」なんだけど、読んでたらいまどきの高校生(文系)になったような気がしてくる。でも、大人が子供の世界を「等身大」に描けるなんてありえるのかな? 携帯電話の機種のことで言い争ったり、マンガの話題で熱くなったり、『カツクラ』が重要な情報源だったり、細かいディティールがなんだかホンモノっぽい。もしかしたら大人からみたら、子供である高校生の空間なんて簡単に書けるのかもしれない。だって子供の世界なんか、この小説に出てくる部室――ベニヤで仕切られた空間の内部――みたいな狭いもんなんだから。でも、これを書いた人が心がけたのって、高校生をリアルに描くとかそうゆう部分じゃなくて、別のところにあるような気がする。もしかするとこの人、オレらが読んでる携帯小説とかライトノベルの気持ちよさ(ゲーム的リアリズム)を、おじさんとかが読んでる小説の手法(自然主義的リアリズム)で描こうとしたんじゃないかな。 どうゆうことかってゆうと、「なんだかうまく言えないけど、なんかいいよね」みたいな感想しか出てこないタイプの小説があって。たとえば保坂和志さんの『プレーンソング』とか。あれは、小説からネガティヴな磁場をとりのぞくっつー、従来のネクラ文学へのカウンター的手法を取り入れた結果、起伏はないけど、なんかキモチイかんじを出すことに成功してる。保坂さんは自分の本のなかで――たとえば「○○は去っていった」という文章があれば、その○○さんとは二度と会えないような気がする。叙述された文、および小説にはどうしてもネガティヴな磁場のようなものが発生してしまう――とかってゆってた。これは、確かにそうかもって思える。だいたい、文章をつらつらと書き連ねる動機のほとんどって、頭のなかでかかえきれなくなった悩みとかじゃん。それに「文学」ってだいたい人が死んだり悩んだりするじゃん。そこから連想されるのって、軽いもんじゃなく、重くて、どっか暗くて湿っぽいもんだけど、でも、これって「文学」に慣れ親しんだ人のもってるイメージかも。もし仮に楽しい小説しか読んだことのない人がいたとしたら、保坂さんがゆってるみたいな「ネガティヴな場」を小説とか叙述される文には感じないと思う。その証拠に、たとえばオレ、大正時代のものを読んだら、どんな暗い話でも、その裏に萌えキャラとか蒸気機関で動くロボットの気配を感じる(大正時代を舞台にした「サクラ大戦」というゲームの影響だけど……)。まあでもそれはオレが頭悪いからかも。でもオレらの本の読み方って、そういう感じで、おじさんとかの読み方とはぜんぜんちがう気がする。 なんの話してたっけ……えーと、つまり、この小説って、比較的新しい文学であるラノベ的な気持ち良さと、おじさんたちが感じてる従来の文学の匂い。その両方があって、双方が理解できる中間くらいのポイントでうまく書かれてて、しかも、それは意図的なものだろうってこと。この人の作品って、読んでるとサブカルチャーに囲まれて生きてきたんだなって感じがする。それってすごく広いのに窮屈で、寛容そうに見えて自己完結してて、その気分って、

このベニヤの壁の外にあるのは図書室だけではない。世界の全部があるのだ。  (中略)  皆いつだって、うつむいて携帯電話の液晶の画面をみて、メールをしている。皆、「誰か」にしているんだ。だけど、本当に、皆、この世界そのものをノックしているのかな……。

とかっていう一節に書かれてることに近い。 でも、オレらがほんとにひっかかってるのは「この気分」じゃない、もうひとつ上の段階の「気分」。どういうことかってゆうと、この一節って、登場人物が自分をとりまく狭い世界に疑問を抱くというごく自然な流れだけど、考えてみると彼女自身が実は小説の登場人物=キャラクターなわけで、普通はそんなこと関係ないだろうけど、オレらはこのことに自覚的にならざるを得ない。そうすると登場人物が疑問を抱いている世界って、フィクションの世界のことで、それに感情移入しているオレたちって一体なんなの? ってなふうに、どこまでいっても「らしさ」(リアリティ)しかないこの世界の現実について考えてしまう。世界がどんどん嘘くさくなっているから、本当のことだって全部嘘に見えてしまう。フィクションもノンフィクションも、どっちだって同じで、だからこそ何の引力も感じずに自由にそこを往き来できる。けど、この作者はかすかに引力を感じてて、それを技術で振り切ってる感がする。だからこそ作者が意図したほど、登場人物がキャラクター化していない――背景はなんかリアルなのにウソっぽい心地よさがある。この作品は、引力の均衡点(ラグランジュポイント)みたいなところに浮かんでる。ラグランジュポイントはスペースコロニー建設に最適……つーことで、ゆとり世代のブンガクと、旧世代の文学が共存するための最初の一歩かもしれない。違うかもしれない、そうかもしれない、オレも落ち着きがない。

◎補足:読後、カバー裏にある登場人物たちの後日談で、驚くべき事実が明かされるのだが……それは読んでからのお楽しみということで。(文庫版もあるのか??)


初出:群像


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