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脳髄幽霊、ほんまにつかれる

十年以上も前の、夏の話である。
近所の友人Aの家に遊びに行くと、部屋のゴミ箱にほぼ新品のスニーカーが捨ててあるのを発見した。
「この靴もう捨てんのん?」
Aは無言で首肯。不思議に思い、
「なんで?」
と続ければ、
「脳髄を踏んでしもた……」
とシュールな返答。
脳髄。
「ああ……まあ夏やしね」
むろん、季節など無関係であったが、この得体の知れぬ展開に呑まれると、夢野久作先生の小説のような、ドグラ・マグラした場所に迷い込んでしまいそうであったので、どうにかして語尾を風流にしてみたものの、何の効果もなし。吾々は冷房の音が流れる部屋で緘黙。
頭をひねった。
脳髄を踏めるような立場にある人間というのは、この現代社会に於いては非常に珍しく、医者かヤクザくらいのものであり、どちらも何かを極めた専門職であるが、Aは単なる建築専門学校生である。数分後、Aが、とある駅で飛び込み自殺に遭遇した話をはじめるに至って、思い出した。
Aは、酷く自殺者に遭遇する確率が高い男だった。
彼は繊細、且つ優しい男であったので、それからあとも偶然の死に遭遇することが続くにつれ、やがて少し心を病んだ。過剰に自殺者に感情移入しすぎたのだ。そのうち、友人たちの間で、ある噂が囁かれはじめた。
Aの病の原因は「霊に憑かれた」せいだというのである。
これはまずい。
自分は子供の頃よりオカルト雑誌を愛読しておるのだが、このようなものを買う人間は二種類に分けられる。ビリーバーと呼ばれる神秘主義者と、それ以外――単なる興味本位、懐疑主義者を含む、その他諸々――である。友人たちは今まさにビリーバーと化している……自分は後者であり、幽霊とは、死者と自分との交換可能性想像力の生み出す妄想であり〈憑かれる〉というのは、その可能性を自らの内に引き込んでしまうことである、と考えていた。
その場を覆うにわか神秘主義の闇を払い、Aの擁護をするつもりでそのことを友人たちに伝えると、冷たい視線と共に、
「屁理屈ばっかゆってへんと、ちゃんと考えろよ」
と、怒られた。
……納得できない。なぜだ……ここで一番合理的かつAの症状を理解しているのは自分のはず……どういうことであろう……この居心地の悪い空気は一体……。
自分は大人になってから気づいた。あの場では、理屈や、幽霊、心の病などはどうでも良く、共感能力を試されていたのである。そしてその共感の輪に混じれなかった自分は、心の冷たい男なのである。
確かに、先程の説でいくと、〈憑かれない〉人間は情が薄く、共感能力が低いということになる。無論それを否定する気はないが、自分は共感に共感する、ノイズ混じりのフィードバック奏法的な共感がそれほど大切だとは思えない。だからと云って、今、共感を売り物にした商品が蔓延していることについて批判をするつもりもない。欲望されているものが的確に受け手に伝わっているだけで、世の中の仕組みが上手く廻っているではないか、としか思わぬ。興味がない。
世の中で求められている物は、それ自体が欠如しているからこそ欲望されるに違いない。これほど共感が求められているのを見ると、共感能力の欠如した人々が、世の中の大多数ということになる。ならば、共感能力の欠如した人間を、マイノリティとして取りあげ、それが犯罪者の条件であるかのように騒ぎ立てる犯罪評論家の物言いは間違っているということになる。
逆に、そうでないなら彼らには「共感能力の欠如している人間に共感する」という能力が低いことになる……と、云うような思考の果てにたどり着くのは、面倒で疲れるからもう共感トカ必要ないのでは? という結論。
このような社会において必要なのは、共感さえも廃した絶対的な個人的経験であり、その空間では共感を軸にした排他性は根絶されるであろうから、冷静な物の見方が可能なはずである。
いや、しかし、それさえも文字に書かれた瞬間に共有され共感されてしまうのだろう、ならばもはや理解出来ぬ言葉で自分だけに書くしかない。
無茶を云っているように思われるかも知れぬが、会ったことも話したこともない幽霊の実在を信じるならば、これも信じられるはずである。
――以上は極論であると同時に己も含む、共感能力の低い人々の弁護であるが、このように開き直るのもどうかと思い、自分はバランスの良い共感能力を磨く訓練をはじめた。
共感を磨くには平均的感性を手に入れなくてはならない。つまりそれは活動的で健康的、携帯小説や浜崎あゆみで泣けるような感性ということであると考え、田舎に帰省の折、履きつぶして棄てた脳髄スニーカーと同じモデルの靴を買い、真夜中に肥料の臭いがする田圃と、巨大な沼地の周りを全力疾走しながら、鼓膜が破れるほど轟音で浜崎あゆみを脳に流し込むこと一週間、気づけば自分は星空の下で号泣していた。キラキラした音楽で宇宙と交信、共感能力の極限を体験できたのである。めでたし。
過剰分泌される脳内麻薬により発狂寸前の神秘を感じると同時に、そのとき、電撃に打たれたように、ある疑問が降ってきた。
問)Aが脳を踏んだ場所は神戸駅であったのは何故か?
そして、その答えに気づいた。

頭【コウベ】だから……。

くだらなさすぎる頓知の一撃。これは関係妄想か。それとも宇宙の意志か。電波が自分に、重大ななにごとかを伝えようとしている……そのようなことを疑わずにおられぬ今日この頃。これも共感力のなせる業。
今夏は、霊に憑かれるかも知れぬ……。

余談であるが、Aは、今ではすっかり健康を取り戻し、「氣」の研究をしている。

初出:新潮


Posted in その他, 売文保存庫, 随筆.

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