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神様検定

STUDIOVOICEに初めて書いた原稿で、テーマが「○○検定」。
いつの号だったか覚えていない。
この随筆に出てくる老人はIさんと言って、その後、『零式』のあとがきにも登場する非常にイイ味の老人。シンクロニシティに満ちた人で、日常のいたるところで私と遭遇していた。個展を開いたりクラブイベントを企画したり、家に遊びに行こうとしたら「死体があるからだめだ」とか言われたり、よくふたりでお茶を飲んでました。元気かなあ。

      夜中の2時に家のまえで縄とびをしていたら何者かに声をかけられた。

 

      「HEY!軽快ダネェ!」

 

      ふりかえるとそこには、リュックを背負ってメガネをかけた老人。

 

      もちろん面識はない。

 

      はりつめる空気。

 

      一触即発の状況。

 

      私は、ヤンキーを前にしたホーリーランドの主人公の如くガタガタ震えながら縄とびをかまえる。

 

      二重とびのモーションに入ろうとしたそのとき。

 

      老人は私をみてなぜか面食らったような顔をして「なんだ……男か」とつぶやいた。

 

      ……ナンパ……ナンパだったのか。

 

      そういえば、ここ一年くらい髪を切っていないので、後ろからみると確かに女子にみえなくもない。老人は「俺は絵描きなんだ」と自己紹介し、おもむろにリュックから自作の絵を取りだして見せてくれた。激情のおもむくままにボールペンでメモ帳にかかれた人物画……ヤバイ。これはきっとサイコセラピーで書かされた絵に違いないぞ……そう感じた私はヨン様風の笑顔を返した。

 

      以来、老人によく出会うようになった。

 

      彼は多彩かつ能弁だった――絵に加えて詩も書いている(しかも英語混じり)、クラブDJとのコラボをした(コラボ!?)、アート事務所の設立計画(ほんとか!)、プロ以外の女性との性行為は禁止(素人童貞だった!)、胸につけているのは謎の秘密結社のメンバーしかもらえないペンダント(もう意味がわからない!)――この調子でいけば、『ムー』を毎月立ち読みする必要がなくなりそうな勢いだった。

そんなある日、近所に住む友人たちが「最近このへんに奇妙な老人が現れる」と、噂しはじめた。間違いなくあの老人のことだったが、友人たちは続けてこういった。
「なんか、めろんさんに似てるんだよね……その老人」
家に帰ると力なくロッキンチェアに腰掛け、西部劇で眉間を撃ち抜かれた死体のように、ゆらゆらと身体を揺らしトランス状態で瞑想を行いながら私は思った。
――神が必要だ、と。
ここでいう神とは客観性のことだ。人は根拠のない全能感や圧倒的多幸感に囚われると客観性を失い暴走してしまう。中学校時代、クラスの女子と目があっただけで「あの子……オレに惚れてる!?」とか思ってストーキングを繰り返してしまったり。そのあと警察に通報されて学校中から冷ややかな目で見られ、ロケットカウルとチンチラシートを装備した不良のZⅡで校庭を引きずり回され、血まみれになりつつも「オレはいじめられてない! これって北斗の拳みたいでカッコいい!」とか思ったり――というような客観性を無視した、都合の良いおもいこみ、それが現実との軋轢を産み出し、ひいては奇人をこの世に産み出すのだ。
この奇人発生に歯止めをかけるためには、人の心に神(客観性)を内在させる検定=神様検定をつくれば良い。狂気が社会から阻害されるものになったのは近代以降らしい。神様検定は狂気のレベルを計ることによって、社会が狂気をコントロールできる。自分でもなにを言っているのかわからない。
それはおいといて、ひとつだけ大きな問題がある。この検定をつくるにあたっては客観を客観視することが必要――つまり検定を検定する必要があり、ということはその検定された検定を検定することも必要になり……(以下無限につづく)。

(初出:STUDIOVOICE)

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Posted in STUDIOVOICE, その他, 売文保存庫, 随筆.

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