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薔薇と体毛

映画の中で脱毛が開始される。
薯蕷の如き四十男の濃密な胸毛。中国人女性の「脱毛師」(新職業:海猫沢命名)が、そこにボンドのようなものを塗りつけ、テープを張り付け、力任せにそれを引きはがす。男は絶叫する。毛穴から血がにじむ――これはホラー映画ではない。コメディ映画なのだ。笑えない。なぜなら思春期にガムテープを使用し、同様の行為に及んだことがあるからだ。それは自分でやると非常に痛い。痛いのでその行為を弟に強要していた。
「一気にやれ!」
「ええっ……」
「なにビビっとるんじゃ!」
「こうか!」
「ぎゃああ!」
「ひぃぃ!血が!」
弟はそれが心の傷になったのか、大人になり、酒を飲むたびに「毛ぇっ!」と叫んで暴れるようになった。映画を見て、そのような過去に想いをはせ、ふと思う。(今なら、思春期には無理だった自分の夢を叶えることができるのではないだろうか……)と。
翌日、私は早速、ネットで脱毛について検索し、レーザー脱毛エステなるものの予約を入れた。男が脱毛というと、世の中はすぐにゲイかナルシストの二元論に陥りがちだが、笑止。今を生きる男たるもの、女子力も取り入れるべきである。彼女らは幼少期より視線に晒され、己を磨くということを知っている。見られているという意識=「他者」を意識するということであるが、男子はこの「他者」に対する意識が女子に比べて非常に希薄(もしくはいたずらに過剰)に思える。それは、これまで男子が見る(捕食)側だったからである。最近は草食系(恋愛に無関心=単なる童貞で、対人恐怖症であることの言い訳にもつかえる)とかAセクシャル(無性愛=単なるEDであることの言い訳にもつかえる)という言葉が人口に膾炙しているため、「草食系だから」とか「Aセクだから」と言えば「へえ」という顔をしてくれるので面倒が少なくて良いようだが、甘えるな。植物系の私(光合成中)でさえ気を遣っているのだ、本気で草食系を名乗るなら、肉食系においしくいただかれるための努力をせよ。
そして当日……家で綺麗に毛を剃り、エステに到着。医療レーザーにより足の毛根を破壊し、思春期の夢を叶えた私だったが、毛とは、なくなってしまえば最初からなかったような気になるもので、感慨もなし。「無」は「有」ることの間でのみ「無」として存在するのだ。考えてみたら恋人も妻もおらぬ。その差異を観測する主体が自分しかないというのはなんとつまらぬことであろう。真空に放り出される如き孤独を抱え、帰ろうとすると、脱毛師が次回の予約をたずねてきた。
「もう良いです」
「そんな! まだ残ってるじゃない! 乳首とか髭とか指とか!」
「い、いや別にそこは……」
ふと、私は不思議なことに気づく。この脱毛師と私だけがこの宇宙に存在した毛と、存在しなくなった毛のことを知っている。
「あきらめちゃだめよ!ね?」
脱毛師は無邪気に微笑む。
胸の奥に、不思議な温かいものが灯る。
来月、薔薇を抱えて彼女に会いに行く。

群像

初出:群像

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Posted in その他, その他, 売文保存庫, 随筆.

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