Skip to content


Life感想戦「ゲームと社会設計」補足

 ・ソーシャルゲーム=悪?

コアなゲームの話をすると必ずソーシャルゲーム=悪! みたいな空気が流れるんだけど、それはちょっと短絡的すぎるということは言っておきたい。正直、実はぼくも最初はそういうふうに思っていたのですが、この本を読んでみるとぜんぜんそんなことなかった。ソーシャルゲームの設計はかなり練り込まれたものだし、本書が主張するように「世の中を良くするためのもの」ということも視野に入っている。しかし、水は低きに流れ、悪貨が良貨を駆逐し、思想じゃなくて表面的な部分だけが流通する……。似たような枠組みだけを真似て、理想がずっぽり抜けた課金マシンみたいなゲームがあるのも確か。だから、俺らはそういうもに出会ったときこそ、それを正しくクソゲーと呼ばなければならない(濱野さんも番組で同様のことを仰ってました)。

 ・ゲームと経験の先取り、について

チャーリーが確か前に『カーニヴァル化する社会』で、「ゲームによる経験の先取り」による再帰性の高まり……みたいなことを書いていた記憶があるんだけど、あれは考えたいポイントだった。経験の先取りを利用したバーチャル空間での戦争訓練なんかは絶対にこの先出てくるだろうし(というか、すでにある。アメリカ陸軍が広報予算22億円をかけてつくったFPS『America’s Armyアメリカズ アーミー)……昔DLしたんだけどオレのThink padじゃスペック不足で動かなかったよ! あと、SFだと『エンダーのゲーム』『宇宙戦艦ヤマモトヨーコ』。映画だと「スターファイター」とか)現時点でも、アメリカではPTSDの兵士の暴露療法にCGでつくられたヴァーチャルなイラク「仮想イラク」が使われている。ゲームが学習に使われることもあるし、戦争シミュレーションに使われることもあるし、逆に治療に使われることもある。やはり技術そのものが悪いわけでも良いわけでもない。

さらに、「ゲーム」って言ったときに、90年代と今とでかなり認識が違うはずなんだよな。たぶん00年代くらいから、小中学校で遊戯王とかデュエマにハマった世代だとコンピューターゲームと並行して同じくらいカードゲームやってるはずなんだよなあ。そうなると、仮想現実での経験の先取りとはまたちょっと違ったものを受け取ってる可能性はないだろうか? てなことを考えたかった。

 ・ゲーミフィケーションとゲームプレイワーキング

今いわれてるゲーミフィケーションの概念はかなりゲームプレイワーキングと重なっている。ゲーミフィケーションは主に「仕事のゲーム化」で、GPWは「ゲームの仕事化」に重点をおいているんだけど、ゲーミフィケーションの意味の拡大でこのふたつはたぶん同じになっていきそう……というか今も混同されている。厳密にはぜんぜん違うことで、前者は葡萄踏み、後者はマトリックス、と考えてもらえばわかりやすいだろう(悪印象か……)。葡萄踏みはめんどくさい作業を音楽に乗って踊ることでゲームに変えている。ところが後者は自分がやっていることがそもそも仕事だと気づかない。今みかけるゲーミフィケーションの話はこのふたつが混同されている。このあたりは指摘しておきたかった。

 ・GPW流れで自著の話

さて、今回またもやこの話がでてきたわけです。簡単に説明すると、『ニコニコ時給800円』の中に、ある貧乏なヒロインを助ける男が現れる、この男は結果的にヒロインを助けるわけですが、その方法は自分の思想で彼女を説得してしまうわけです。これは形式的には飲食店の自己啓発と同じ構造なわけです。要するに男のやってることは「この理念は素晴らしいんです! だからこの理念で働けばハッピーですよ!」という、やりがい搾取と同じでは? という話を最初にチャーリーと出会ったときからずっとしているのです(ちなみにLifeの「信じる論理信じさせる倫理」はダイレクトにこの問題だった)。なぜこんなことに懊悩するかというと、不特定多数に向けてなにかを書くということは必ずどこかの誰かを信じさせてしまう可能性がある。つまりこれは俺の問題でもある。作品内ではいくらでもオチが付けられるんだけどなぁ……。
良い悪いで言えば、もちろんブラック企業のやりがい搾取みたいなのは悪いに決まってる。の……だが現場レベルでボスを倒しても、システムがそうなってたらどうせまた別のボスが出てくるわけだ。となると、システムを改善しなきゃいけない。けれど、昨日書いたように、この問題は無限後退する。なぜなら真犯人なんていない場合が多いからだ。空気とか、もっと漠然としたものを変えていくしかないのだが、漠然としているがゆえに変えづらいというこのジレンマ。
結論としては、問題が個人にあるなら対話するなり変えるなりする。システム側にある場合は、外部監査のような役割を常に機能させておくこと。それを可能な限りパブリックなシステムにしておくこと。システム設計にかかわることができない俺のような立場からできることって言ったら、天の邪鬼な小説書いていくしかないんだけども。あとは、いろんな判断材料を提供して情報のインプットを偏らせない。油断しない。というところかかなあ。ちなみに、ぼくがLifeを聞いている理由は、まさに、今言ったようなことをやっているからなのですが。

(暴走するかもしれないシステムをどうするかという例で言うと、オウムから派生した「ひかりの輪」が被害者を含む監査団体を外部委託したというニュースがある)

 ・希望はいくつもある

……って流れでいくと、なんか人間信用できねえ……。って感じで萎えるんだけど。最後に人を信じられそうになる話題を。それはノーキャッシュリワード。簡単に言うと、「人はお金をもらわないほうが積極的に働く」というものです。そんなわけねえだろ! と言われそうだけれど、たとえば、この記事などを読んでみてください。お金がもらえる楽天に、お金がもらえないクックパッドが勝利している、という記事です。簡単に言うと、理由は、なまじお金がもらえるために「どうせお金目当てだろ……」と思ってしまい、純粋な悦びがなくなってしまったからです。楽しみでやっていることも、報酬をもらってしまうとお金のためにやっていると錯覚してしまうのです。
人間には、楽しいことや人に感謝されることを自然にやりたくなる、という機能が備わっている(カントもそういってます)。人とかかわる可能性を増やすことによって、その機会は増えるだろう(ただし、その逆もあるので、あくまで出入りが自由であってほしい。地元が本気の村だからヤなんだよ……村)。ともかく、なにげない親切によって動いていくシステムっていうのも悪くないんじゃないか(まあ……そうは言えども「クックパッドはそれを利用してんだろ!」というふうに、また設計する側の倫理を問われるわけですが……)。

[`evernote` not found]

Posted in life感想戦, その他.

Tagged with , , , , , , .