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書評『ここに消えない会話がある』

九〇年代~〇〇年代において隆盛を誇った、いわゆる「セカイ系」と言われる作品群は様々な批判にさらされながらも、劇場版ヱヴァンゲリヲンのヒットに見られるように、今なおその命脈を保ち、商品としてのニーズをまだ失ってはいない。そのセカイ系に対するひとつの批判として「社会構造を描け」、というものがある。内向より外向というわけだ。だが、セカイもシャカイも認識の枠組みでしかない以上、知識の過多の差でしかないのではないのだろうか。

確かに井戸と海はちがう。しかし、乱暴に言ってしまえば、水たまりという意味ではなにも変わらぬ。井の中の蛙が大海を知らぬとなぜ断言できる? 紀元前、アレクサンドリア国立図書館の館長であったエラトステネスは、地上にいながら地球の周囲の長さを求めたではないか。しかも棒きれひとつで。アインシュタインは火星に住んでいたか? ポアンカレ予想を解いたペレリマンの家は一二次元にあったか? 否、誰もがこの狭い世界で生きていた。巨視的に把握すれば確かにこの世には、個人、社会、世界、という構造があるかのように見える。啓蒙主義的な立場からそれを示唆するのは確かに心ある親切な態度だが、「社会」という概念を押しつけずとも、この日本にはもっと適切な「世間」という言葉があるではないか。「個人」と「世界」短絡に陥ることない「セケン系」というものが、セカイ系とシャカイ系の間にあっていいのではないだろうか。『ここに消えない会話がある』にはその「セケン系」の可能性が描かれている。

新聞のラジオテレビ欄を制作する会社で働く、二〇代半ばの男女六人(広田、岸、佐々木、別所、魚住、津留崎)が、それぞれ仕事仲間として会話を交わし笑い会う「職場」小説――著者自らがエッセイで“私は映像イメージが湧くようなものや、ストーリーにうっとりするようなものは書かない。言語表現として面白いもの、ぎりぎりのもの、甘くて硬いものを書きたい”と宣言しているが、それはつまり、登場人物を物語の従属物として描かないという意味でもあろう。その意志は完遂されている。
『ここに消えない会話がある』というタイトルは非常に矛盾に満ちた言葉だ。「ここ」と書かれた瞬間に時間はすぎ、もはや「ここ」はどこにもなく、「声」によってなされる「会話」が消えないなどということはありえない。だが、たしかに、ありえないはずのものが[ここ]には[ある]。

主人公の広田は、心の中に暗いものを抱えて毎日をやりすごしている。彼は冒頭で夏の気配と海風を感じるが、それは、ただ爽やかなだけではなく、不穏な気配と背中合わせになっている。それを救うのは、大きな事件でも、彼のパソコンのモニタにびっしり貼られた箴言――「文字」――でもなく、会社での小さなコミュニケーションである。他愛のない「会話」と、ラテ欄の間違いを探すための「読み合わせ」。この空間でかわされる会話は彼らの仕事や日常の一部でもあり、癒しでもある。着かず離れず、絶妙な距離感で醸成された「世間」が、広田を、短絡的なセカイ系に流れるのを引き止める。
ここで描かれる登場人物同士の「ゆるいつながり」はまた、縦(作品内)と横(作品外)にもひろがっている。
例えば、彼女のデビュー作である『人のセックスを笑うな』のヒロインであるユリの夫は、本作の登場人物たちと同じ「新聞のテレビ欄を作る仕事をしているサラリーマン」だったし、『浮き世でランチ』の主人公、丸山さんの職場は「海のちかく」であり、仕事は会社紹介の情報誌作りだ。夕方になると、口に出して原稿を読み合って文章に間違いがないかをチェックする「読み合わせ」の作業をする。無関係ながらもどこかで接点を感じさせるその感じは、最近流行している「Twitter」とも良く似ている。
「Twitter」とはマイクロブログと呼ばれる、ブログとチャットの中間のようなもので、ひたすら一四〇文字以内の「つぶやき」を投稿していくという奇妙なサービスである。例えば今の私ならば「恐山から帰ってきて原稿書いてるなう」「マジやべえ、締め切りちけえ!」「ピルクル飲みすぎてお腹がいたいのニャ……」とかなんとか、そんな感じのつぶやきを投稿する。そうすると、上から下へと順に、自分のページにそれが表示される。
「Twitter」内では様々な人が「つぶやき」を公開しており、気に入った人を「フォロー」することによって、自分のスレッド(タイムラインという)に、自分の発言に加え、その人のつぶやきが時系列で表示されるようになる。どんどんフォロワーを増やしていくと、その人数分、ウインドウが賑やかになっていくという仕組みだ。もちろん一方的につぶやくのではなく、相手のつぶやきに対して返事を返すことも可能だ。一行ニュース配信サービスを行っている新聞社、短い小説を書いている作家、知人、友人、知らない人、ウインドウの中でいろんな関係性が入り乱れて勝手なことをつぶやいている様は、まるで休日の騒がしいファミレスのようで、楽しいとかを越えて、もはやカオスであり、小さく圧縮された世間のようだ。「いまなにしてる?」「原稿書いてる」「らーめんたべたい」「ファイル消えた」流れていく「消えない」「会話」。
それが、ゆるくつながる時代の空気なのだ。

2010年、米国議会図書館はツイッターの記録をすべてアーカイブすると決めた――ここにもまた消えない会話がある。

初出:2009年 群像

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