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無頼は無理とて道理は通す

文筆業を生業としてから確実に人生が狂っている。
別に頼まれたわけでもなく自分勝手にやっているので誰に文句を言うわけでもないが。去年末あたりから家賃が払えず友人の家などを点々とし住所不定となり、手持ちの銭も尽き、この度ついに借金生活と相なった。原稿を書けば解決する話なのだが、どう書いても納得がいかない。悩みをこじらせて挙げ句の果てに頭がどうかして、唐突にボクシングジムへ通い始めて殴られまくり、殴られるたびに記憶が飛ぶのでいい具合になにもかもがどうでも良い感じになってきている。無頼作家ならそれも武勇伝の一つになるが、私は「海猫沢めろん」である。わけがわからない。だが芸道は芸がすべて。筆名などどうでも良い。しかしながら、見返りを期待するのも浅ましいが、このようなけもの道を進んだところで、たいして得るものがないのは悲しい。唯一あるとすれば、トレーナーが経営する居酒屋で無銭飲食が可能になったことくらいであろうか。これはありがたい。なにせ最低限、餓死は免れる。しかし本業のほうはまったくなにも進まない。従って精神状態はどんどん悪化してゆく→殴られに行く→腹が減る→無銭飲食→精神悪化……という負の円環運動を繰り返していた。
そんなある日の真夜中、妄想から来る幻聴を消すために近所の墓地を全力疾走していると縁石に足をひっかけ、墓石に頭をぶつけて死にそうになった。呻きながら起きあがると、近くの墓が目に止まった。墓石は低い柵で囲われ、そこには真新しい缶ビールなど、いくつかの供物がある。気のせいか、あたりの墓の中でそこだけが燦然と輝いているように見えた。無頼の作家、色川武大の墓であった。供物はファンの厚意だろうか。それともギャンブルの神様と呼ばれた作家の御利益にあやかる魂胆か。私は前の年にパチンコ依存症になって大枚を失い、その前の年はネット株依存症でまた大枚を失い、半年間アルバイトをする羽目に陥ったため、もうギャンブルはやらないと決めており、故人をギャンブルの神様として崇めたりはしない。けれど、少しだけシンパシーを感じたことがある。それは少し前、彼の『寄席放浪記』を読んでいたときのこと。この中で色川は五街道雲助という妙な名前の噺家にこう告げる。「不道徳を名前に背負ってるのは、阿佐田哲也と五街道雲助と、日本じゅうで二人きりだぜ。変えないでこの名前で大看板になってくれよ」。色川武大が阿佐田哲也を名乗ったことの誇りと含羞がこの言葉にはある。姜尚中の自伝『在日』にも名にまつわる自己同一性の苦悩が描かれていたが、筆名の懊悩はそれとは少し違う。ほとんど共感されない悩みである。だからこそ私は、彼が生きていたら「不道徳を名前に背負ってるのは、阿佐田哲也と海猫沢めろん二人きりだぜ」そう言って肩を叩いてくれただろうかと考えてしまう。墓と対峙し、思わず熱いものがこみ上げた。が、ふと疑問が過ぎる。色川は一体どういう気分で「不道徳を名前に背負」ったのだろう。そこに苦悩はあったのか。
彼は六〇年の生涯で四つの筆名を持った。色川武大、井上志摩夫、雀風子、阿佐田哲也である。このうち有名なものが色川と阿佐田だ。井上名義では時代小説を、雀風子では麻雀随筆を、それぞれ書いていたというが、私は読んだことがない。本名の色川で新人賞を獲ったあとスランプに陥り、難病(伝説の奇病ナルコレプシー)を患うなどして散々な目に逢ったあげく別名義、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』がヒットする。その後、晩年近くは色川名義の小説で名だたる賞を獲得している。怠け者の若輩がとやかく言えるようなものではないが、あえて一つだけ、私は色川が筆名を使い分けたその一点について納得できない。彼がもし最初から阿佐田哲也として世に出ていたならば「不道徳を名前に背負う」の言葉に込められた覚悟が分かる。だが、単にリスクヘッジのために筆名を使い分けていた人間の言葉だとするならばそこに込められた重みは違ってくる。果たしてどちらなのか。考えてみるが、阿佐田哲也という名には無頼をあてこむいやらしさがない。芸人びいきの色川の、さらりとした粋が感じられる。自らを「怠け者」「たいした人間ではない」「正しい生き方も邪な生き方もできない」と言う彼のこと、筆名など気にしていなかったのだろう。そう思った途端、怒りがこみ上げてきた。やりきれない気持ちに襲われ、私は墓に供えられていた缶ビールを握りつぶすように奪い、それを飲んだ。完全に八つ当たりなのだが。とにかく飲んだ。そして、吐いた。私は下戸だ。
明朝、それを後悔した。『狂人日記』の自筆年譜を見たところ、「変名で売文することが空しくなり、不意に廃業」「禁を破り変名“阿佐田哲也”で原稿料の高い週刊誌に麻雀小説を書く」という記述を見つけた。しかも変名を使って書く理由は経済的な貧窮。自らの信念を覆すのは血を吐くような無念だったであろう。私にも覚えがある。無頼などといえば豪放磊落で細かいことは気にしない。勝手気まま自由に生きたというイメージだが、彼の内面はそうではなかった。酒を飲み笑いながら病苦に耐える。結婚した三年後に『離婚』を書く。色川の人生は自由に見えて不自由、不自由に見えて自由。ならばその狭間で遊び続けることこそ彼なりの無頼ではなかったか。それは、〈無頼〉という言葉の逆説を照射する。頼る物あってこそ〔無い〕という概念は成立するのだ。
猛省しつつジャージで部屋を飛びだすと、酒を買って霊園に走った。

初出:群像 2008年

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