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読者工学論三回

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物語は「型」をつかって作れるかも知れない……
だが、「面白さ」はどこからやってくるのか?

その謎は「読者」を考えなければ解けない。

早くも第三回となった「読者工学論 物語を書く前に考える6つのこと」。

今回のゲストは歌人の穂村弘さんです。

ゲスト・穂村弘(ほむら・ひろし)

1962年5月21日札幌生。上智大学文学部英文学科卒。
著書に歌集『シンジケート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、短歌入門書『短歌という爆弾』、エッセイ『世界音痴』、詩集『求愛瞳孔反射』、ショートストーリー集『車掌』など。
「ほむらひろし」名義での、絵本の翻訳も多数。
以前『愛についての感じ』発売のときに朝日カルチャーセンターで、一緒にチャリティー講座をやらせていただいた時以来です。
前回、脳、つまりハードウェア方面から読者や面白いということについて考えを深めたのですが、今回はソフトウェアのほうから考えたいと思います。
そもそもなんで連歌という謎のキーワードが出てきたのかというと、新城さんが昔メールゲーム(簡単に言うとハガキを使ったごっこ遊び)のゲームマスターをやっていたときに「はっ!これは連歌じゃないか!」と思ったそうなんですね。
連歌ってしりとりとかサイファみたいなもんで、集団言語遊戯なので、確かにメールゲームは近い。
短歌の世界は読者と作者が近い……というかほぼイコールで結ばれそうなジャンルなのですが、今回はそのあたりの違い。小説と短歌の面白さの比較。新城さんの言う小説エチュードとしてのツイッターと、短歌。それぞれが「面白い」と思う短歌を持ち寄り分析したり……などなど……確実に長丁場が予想されますが(前回、放課後が2時間超……)、みんなゲンロンカフェでメシ食いつつ、お話ししましょう。

ところで、、ベテランでも売れっ子でもない三文文士の自分が、小説技術や創作術について語ろうとした理由ってなんなんだろう? こないだからそう思っていろいろ考えていたんですが、なんとなくわかってきました。
まず言っておきたいのは「楽するため」ではない。

そうなのです。

創作術や型について考えるのは、決して「楽をするため」ではない。
執筆を簡単にしようというわけでもない。
物事はは難しければ難しいほど面白いのであるからして、そんなことをしてしまえば本末転倒なのである。

ではなんのためか?

それは、「熱を失わないため」だ。

小説を書きたい! と思ったとき、最初はみんなすごい情熱とか情念とか怨みがある。
けれど、実際に書いていくうちにそれが容易ではないことに気づき、だんだんとその熱が消えていく。
やがて熱の欠如を技術で補おうとし、それでもうまくいかずに延々と迷路を徘徊しはじめる。

ぼくはそういう迷路のなかで、疲弊してしまう人たちをいっぱい見た。自分だってそうだ。
挫折と割り切って次に進める人や、別のステージへ行けるやつはいい、でも思い詰めて絶望して命を絶つやつもいる。

ムダな努力が力になるというのは本当なんだけど、それによって失われてる情熱や純粋な魂がいかに多いことか。

ぼくが求めているのは「熱を活かすための技術」であって、単に「効率よく楽をするためだけ」のものではない。そういう奴は生まれ変わって工場のベルトコンベアとかJavaScriptになってりゃいいんだよ!人間ってのはそういうもんじゃねえだろ!

まずは、無駄なことを省くのである。

無駄なことを省いたあとは集中するのだ。険しい道であることは変わりない。
だからまずは頭を整理して、それに集中できる環境を整えようということだ。
無駄なことを考えなくていいよう。集中できるように整備する。地ならしをすること。それであとは書けばいいというようなところまでいけば、これはしめたものだ。
あとはひたすら難しい道がつづくだろう。ただしその苦しみは非常に充実したものだ。それは情熱を注ぐに値する。
そのことに早く気づければ熱は失われない。

ぼくの根底の部分に、拭いがたくあるのは「クソだろうがダメだろうが理屈が通ってなかろうが、不器用でいろいろなことをうまくやれない奴が、最後の最後にやれるのが小説というものであってほしいし、そういう奴のための小説だろうがよ!小説作法なんて知るか!」 という思いだ。こうした自分でも良く分からない逆ギレ的な熱を失わないように、いつも小説技術について考えている(いつもムカついて逆のことをしたくなる)。

「楽をするため」じゃなくて「熱を失わないため」。

そういうのがいい。

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