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Life感想戦「ゲームと社会設計」

ライフ

毎月一度の徹夜議論。みなさま、おつきあいいただけたでしょうか? のちほどポッドキャストで聞くリスナーもおられるかもしれませんが、やっぱりここはリアルタイムで我々の、この深夜テンションを共有していただきたいところです(まじで)。

 ・ゲーミフィケーションとルール設計

今回のテーマである「ゲームと社会設計」は、「ゲーミフィケーション」(ゲーム化)というキーワードを軸に展開しました。いろんなものをゲーム化する! ってたのしそうじゃね? よくね? ……が、ゲームを利用した社会設計という方向に持っていくと、当然ながら色々な人から疑問がたくさんでてくるわけです。例えば、僕が真っ先に思いつくのが環境管理型権力(マクドの椅子とか、モスキート音とか)とどう違うのか、という部分。

米光さん濱野さんからは、「技術なんだから良い面と悪い面があるのが当然」「いつでもやれる/やめられるのが良いゲーム」という意見が。ぼくもこれには同意です。しかし「わかっちゃいるけどやめられない!」というレベルまで没頭できるゲームこそ「死ぬほど面白い!」と言えるゲームではないだろうか。さらに、たいして面白くないのにやめられないゲームというもののほうが、現実にはすごいお金を稼いでるわけです(コインゲームとかパチンコとか)。ソーシャルゲームの隆盛を見ていると、ライトユーザーを取り込むとなると、現状、どうしてもそういう方向が強いんだよなぁ……。

じゃあ、危ないからやめたほうがいいの? それとも見切り発車でいいの? だれがゲームのルールをつくって誰が同意するのか。それがいいことなのかわるいことなのか? そんなことを考えたわけですが。そもそもなんでみんなプレイヤー視点なの? 「現実はクソゲーなら変えればいい。プレイヤーではなく、みんなはゲームデザイナーにもなれるんだ」(米光さん)。これはほんとその通りなんだけど、やっぱりデザイナーになるのは1割くらいで、多くの人はプレイヤーなのです。いや、ほんとにみんなデザイナーになって欲しい。そしてオレに面白いゲーム作って欲しい(←オレも9割のほうか)。

 ・ゲームをデザインする側になるのは難しいのだろうか?

ここで『世界ゲーム革命』という本の話題をはさみたかったのだが、音声入ってないときにちょっと話して、本編に入れ忘れてた。すまん。フォローしとく。

この本は、NHKスペシャルを書籍化したもので、論旨は明快「もはや日本はゲーム大国ではない」ということ。日本製ゲームの世界シェアは95年の7割から、09年には3割にまで減少。この理由が海外のゲームデベロッパーのレベルの高さ。海外勢の圧倒的な開発力を紹介し、世界市場では日本のゲームがセールス面で太刀打ち出来なくなってきている現状を浮き彫りにしています。なぜこんなにも差が付いてしまったのか? 番組はいくつかあるその理由を「人材育成」の部分に注目して語っています。

例としてとりあげられるのは『Gears of War』(ギアーズ・オブ・ウォー)を作った、アメリカのEpic Games(エピック・ゲームス)。この会社がすごいのは、あるパソコンゲームを買うと、そのゲームをつくるための開発環境がまるごとタダでついてくるところ。ゲームのデータは自由にいじっていいし、ネットに公開してもかまわない(売るのはもちろんダメだけど)。この目的はデファクトスタンダードをとることと、もう一つが「人材育成」だった。結果、エピックゲームスの社員の5割以上が元ユーザーである。この「なんか新しいもん作り出すのはユーザーに任せてみようぜ!」という戦略はMIT教授のエリック・フォン・ヒッペルが05年に『民主化するイノベーションの時代』で紹介した「イノベーション・デモクラティゼーション(イノベーションの民主化)」という手法で、アメリカの企業が多く採用している。

日本人はゲームデザイナーに向いていないのか? 現状を見ると確かにそう思える。けれども実際のところはそんなこともないんじゃないか? 日本でも同様のチャレンジはあった。例えば「To Heart2」を作ったアクアプラスの端末「P/ECE」なんかは端末を買うと、プログラムはもちろん、回路図までついてきた。なんでも勝手にしやがれ! という無駄なオープンソースぶり……にもかかわらず持っている人を見たことがない。やっぱり日本人には向いていないのか?? いやいや……待てよ! そんな重箱をつつくような失敗例を一般化するなよ! そうだ! そういえば「ruby」とかって日本人が作ったオープンソースじゃね? 海外でも使われてね? さっそく開発者のインタビューを見てみた。なるほど……「いびつさを恐れてはいけない」か……日本人には苦手そうだな。あと、話がずれてきたな……ゲームじゃなくなってきた。でも、さ、ガイナックスとかってファンから作る側にまわったわけだし、日本のアニメ業界なんて現場レベルではほとんど元ファンじゃん。SFだってプロはファンのなれの果てだとか言われてたんだし、小説だって書きたい人のほうが多いんじゃない? 作り手になりたい人はいっぱいいるけれど、その人たちが簡単に使える開発環境が整備されていないことは確かに問題かも知れない。オレは日本でも同じような環境を作れれば意外とうまくいくんじゃないか、なんて思うんです。だってニコ動あんな盛り上がってるじゃん? あれってインターフェースが手軽ってのもあるんじゃね? いやいや、現時点でもうオープンソースと開発環境はあるじゃないか! って? まてよそれ英語じゃねえか! わかんねえよ! 日本語で作ってくれよ! そのレベルで対応してくれ!(昔あったけどあれは無理) うーん、やっぱり、環境整備がうまくいってないだけなのか? いや、それでもダメなのか?

(ちなみに、『世界ゲーム革命』発売の時点では任天堂が3DSで失敗して落ち目な印象だったのだが、こんなニュースもあるのでまだまだ予断を許さない)

 ・ルールを設計可能にする=ゲームの開発環境もオープンにする

話をもとに戻すと、番組前に考えていた結論としては、ゲーミフィケーションを社会設計に応用するならば、それにまつわる情報が完全に可視化され、多くの人がルールを編集できることが重要なのではないだろうか? すべてを「オープンソース」「パブリック」にすることで、参加者のあいだでゲーム理論のナッシュ均衡のようなものが働いてなんとかなる!(超無責任だけど) というものです(濱野さんが仰っていたアンチをも取り込んで進化するAKBの可能性。あと、ジェフ・ジャービスの『パブリック』)。わかりやすく言うと、イメージとしてはウィキペディアなんかを思い出してほしい。新陳代謝が激しくなり、そのうち一定に落ち着く、あのかんじです。しかしそう考えながらも、「だれがゲームのルールをつくって誰が同意するのか。それがいいことなのかわるいことなのか」という疑問はやっぱりあった。

なぜそこにこだわるのか? たぶんなんだけど、チャーリーは犯人を見つけようとか、特異点を見つけたいんじゃなく、「空気をデザインする方法」について考えてたんじゃないかな(あくまでもオレがそう思っただけで、しかも空気をなんとするって……まるっきり「東のエデン」みたいな話だが)。

オレらの生きてる社会や、現実のシステムにはだいたい作った人、プログラマとか、社長とか、リーダーとかっていう、主体ある人が指令をだしている……と思われている。けど、この人達の主体性ってどっから来てるのかというと、他の人の影響、環境や空気だったりする、つまり、実は誰かひとりに問題を集約することは不可能なんです。主体性の特異点は限りなく、ないに等しい(ないとは言い切れない)。この問題はツリー構造じゃなくてグラフ構造、だから空気のことを考えないといけない。これは観念的なことじゃなくて実体験から出てくる感想なんだけど。集団のふるまいと空気、というのは先生やリーダーなど、ある程度の集団を動かす立場になった人ならわかると思う。五人以下くらいだと何も考えなくてもなんとかなるんだけど、一〇人くらいになると、かなり意識的にルールを作ったりしないとうまくいかない。しかも、常に更新して変化させないと空気に対応できないという……国の政治がうまくいかないわけだよ。こんなの無理ゲー! でもやるんだよ!

 ・結論=なるようになる、それでも最善を尽くす

当然ながらこの話には明確な答えはない。なぜならこれはゲームでもフィクションでもないし、ひとりで動かせる問題でもない(ひとつの答えとして『一般意志2.0』もすごいけど、まだまだ別の答を探せるはず)。問題は常に変化する。だからといって思考停止するんじゃない。面倒だけど、考え続けなければならない(といいつつ、ぼく自身はできることなら考えず、人と会わず、会話もせず、ひとりで引きこもってマンガアニメゲームだけやっていたい人間なのですが、天性の強力すぎる天の邪鬼気質が災いして、いつも逆のことをやってしまうんや)。いろいろな話し合いで醸成される「空気」、次の一呼吸への期待。みたいなものが番組を通して少しでもみんなに伝染してくれたらいいと思う。

ゲーミフィケーションがこれからどうなっていくのか? 考えてみたら、昔はPCなんて怪しげな機械は、頭の堅いおっさんたちにオモチャ扱いされてました。ですが今はどうでしょう? もうPCなけりゃどうにもなりません。人は良い悪いかかわらず、便利で楽なものに流れていくのです。だからもしゲーミフィケーションが便利で楽なものならば、広く普及するでしょう。そのときにはゲーミフィケーションという名前は別名になっているだろうけれども。

というわけで、オレが本当にみんなに伝えたかったこと……それは……本当は外伝3までやって、エロゲ連動型USBオナホールと3Dカスタム少女。リアルセックスコントローラー「オナコン」について語りたかった……! ゲストの米光さん、濱野さん、水無田さん、井上さん、神里さん、ありがとうございました。そしていつもの斉藤さん、速水さん、チャーリー。スタッフの皆様。またぜひともスタジオで!


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Life「ゲームと社会設計」出演予定

ライフ

今月のLifeは

「ゲームと社会設計」

※「ゲームと社会設計」予告編をダウンロードする(mp3 39″28″)
↑をクリック  (※今回ちょっと音質が悪いです。すみません)

11月27日(日) 深夜25:00~28:00 (=月曜1:00~)

出演予定:鈴木謙介、米光一成、水無田気流、濱野智史、
海猫沢めろん、速水健朗、斎藤哲也ほか

予告編の出演:鈴木謙介、速水健朗、斎藤哲也、伊藤聡、
寺澤さやか(論壇女子部)、長谷川P(黒幕)

Ustreamによる動画生中継も行います⇒ http://ustre.am/lrQf

※ストリーミング中継も実施しますので、ラジオをお持ちでない方も、
パソコンとネット環境があればリアルタイムでトークを聴くことができます。
サイト右上の「スペシャルなお知らせ」をクリックしてください。
著作権の関係で音楽は聴くことができません。

ラジコでは音楽も聴けます。

ということで今回のLifeはゲーム! 近々、集英社の「青春と読書」でエッセイの連載を始めさせていただくのですが、編集さんと話していた一回目のテーマが「ゲーミフィケーション」(いろんなものをゲーム化すること)ということで、偶然にもかぶりました。ここのところ、WEBとソーシャルメディア、携帯電話などの登場でゲームと社会の関わりが変化し、かなりおもしろい未来予測が出てきています。ニュースにもなった「foldit」によるタンパク質の三次元解析(詳しくはググッて!)このサイトhttp://fold.it/portal/で体験してみてください。そして、今回のゲストの皆様がきっとみんな読んでいる本はコレ。

僕はこの人の存在を『NHKスペシャル 世界ゲーム革命』で知りました。そして彼女が作っているゲームがこの「EVOKE」(http://www.urgentevoke.com/)です。日本でもこういうのやったらおもしろいのに。ARGとして以前から存在している「ジオキャッシング」(http://geocaching-jp.com/)などと結びつけたりできそう。

そんなわけで、ぜひともみなさまもゲームにまつわる思い出、メールしてみてください。詳しくはLifeのサイトにて(http://www.tbsradio.jp/life/2011/11/post_186.html)。

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Life感想戦「愛という名のもとに」

前回出演したLifeの模様が、Podcastでまとめてお聞きになれます。

文化系トークラジオLife
http://www.tbsradio.jp/life/index.html
※「愛という名のもとに」part1をダウンロードする(mp3 27’55″)
 告知だらけでも許される(ダメです!黒幕)。「愛」のあるラジオLife
※「愛という名のもとに」part2をダウンロードする(mp3 28’19″)
 様々な愛のかたち
※「愛という名のもとに」part3をダウンロードする(mp3 23’30″)
 愛とお金
※「愛という名のもとに」part4をダウンロードする(mp3 31’14″)
 「処女厨」トークに、にゃんちゅうの「知らんがな~」
※「愛という名のもとに」part5をダウンロードする(mp3 24’15″)
 「愛」と「子供」と日本の未来
※「愛という名のもとに」part6をダウンロードする(mp3 24’27″)
 「仕事」に「愛」は必要か
※「愛という名のもとに」part7(外伝1)をダウンロードする(mp3 38’03″)
 「愛」は地球を救う?
※「愛という名のもとに」part8(外伝2)をダウンロードする(mp3 33’20″)
 「愛」と「共同体」
※「愛という名のもとに」part9(外伝3)をダウンロードする(mp3 37’09″)
 二次元への高度な「愛」

主に外伝3がチャーリー×めろんの二次元愛対談となっているので……我々の次元を超えた話を聴きたい人はぜひそこだけでも。
自分用メモ――話をショートカットしすぎずもう少しわかりやすく説明する。つっかえないようにもちょっとゆっくりと話す。マイクとの距離を気にする。投げられた話題にはなるべく結論から入る――というあたりか。反射神経が鈍いのでもっと反応早くしないとな……情報の脳内ロード時間が長すぎるぜ……。以下、うまく答えられなかった部分の補足。

チャーリー「ニコニコのリュウセイは助ける人を選別している。じゃあ選ばれなかった人はどうなるのか」
これは以前の『すばる』対談の時以来の宿題になっていて、咄嗟に答がでなかったんだけど、外伝PART2でぼくなりの結論を出しています。それはぼくの中にある「偶然」を重視する思考です。
つまりぼくには愛がないので選別することができなくて、その場で偶然であった人を偶然のまま助けるしかない。チャーリーはこれを「縁」と呼んでいるわけです。でも、この親切は特に必然性がないゆえに弱い。それをどこまでやれるのか? 親切とは愛の分散処理だと思うんだけども。ではそれは、愛のような強度を持てるのか、それともそのような弱さでいいのか? 結局は決断が先延ばしにされているにすぎないのではないか? そういう疑問があるのではないかと思います。これについても、やはりぼくは偶然の側に立ちたい。ぼくの思う偶然の哲学というのは、単にたまたま出会ったから責任がないということではなく、偶然というのは結局のところ必然であるという哲学なんです。

どういうことかというと、こういうことです。
ある種の宗教というのは偶然を必然に替えることで成り立ちます。たとえば、幸運は神のご加護だとか、不幸だけどあなたがうまれてきたことには理由があるとか、そういったことです。しかし、こうした救済についての言説は、結局のところなにか弱いところを誤魔化している。ほとんどの宗教は自分たちの集団に都合の良い理由をつけて必然にしているのです。もちろんそれで救われるレベルならばいいのかも知れません。
しかし、ぼくの思う偶然とは、偶然を偶然のまま受け入れるという強度のある偶然のことなんです。偶然というのは必ず、自分が引き起こしたことであるはずなのです。つまり自分というファクターがない限り、自分にまつわるあらゆる偶然・奇跡は起こりえない。そうして俯瞰できたとき、人間は自己の運命を愛することが可能である(ニーチェがツァラトゥストラにて論じた話と同じです)。

偶然とは必然の否定である。それゆえにそれを必然と見ることがもはやすでに奇妙なことであるのですが。人はその偶然と必然を同時に生きることが可能なのです。そしてそれを認識することによって純粋な驚きが生まれます。
この驚きこそがぼくにとっては、かろうじて愛・希望と呼べるなにかではないかと思うのです。

斉藤さん「偶然を設計することは可能なのか」
これは、おそらく今のCGMやら絶対計算やらの拡がるネット環境をふまえての疑問だったのかも。それに関して言えば間違いなくYESです。たとえばアマゾンのレコメンド機能。「すげー! なんで俺の好みわかるの!? 偶然これ欲しいと思ってたんだよなー」っていうあれ。あれは、あきらかに自分のデータベースからフィードバックされたものであって、自分自身の鏡にすぎないはずなんです。それでもやはり一旦外部を経由すると違う角度で入ってくるので、これが偶然だと感じられてしまう(これは外伝PART3でのラブプラスの話とも繋がる。データベースの情報量がふえただけ、なんだけど、そのことが重要)。

では偶然と必然の確率的な線引きはどこか?
昭和初期の九鬼周造の著書にもこの問題はかかれています。偶然は計算可能か? いや無理ではないか――量子力学的現象として位置と速度の両条件を同時に決定できない(これを可能にできる仮想的存在が、いわゆるSFではおなじみのラプラスの悪魔というやつです)。そうして九鬼先生は偶然を偶然そのものとして扱えるのは哲学のほかないと断言します。とはいえ、まさか九鬼先生もこんなにPCが発達してデータマイニングが加速するとは思っていなかったでしょう……。

ところで「偶然」には、数学的・理論的偶然と、身体感覚としての偶然があると思うのです。この二つはかなり違うと思う。前者は主に無作為・ランダムと言われるものですが、ぼくらが日常で感じている偶然は後者のほうで、実は計算してみると意外と確率の高いものではないかと思います。たとえば、数学的にはたいしたことのない出来事(例えば40人のクラスで同誕生日の人がいる確率は9割)にもかかわらず、「すごい偶然」と感じることがあるわけで、そうしたことを織り込んだ社会デザインは容易いのではないでしょうか。

合理的な計算が可能になってきている社会のなかでは「偶然」すらコントロールされる運命にあると思います。例えば、コンピューター科学には「ランダマイズド・アルゴリズム」(乱択アルゴリズム)と呼ばれるアルゴリズム(算法)があります。これはプログラムで乱数を発生させるというもの(……よく考えて見ると不思議です)。偶然を取り入れる」という必然なわけです。人々が偶然だと思わされているようなことが実は必然だったりとか(原発問題とかすごくそいうのがありそう……)考え始めると恐ろしい。これは、チャーリーの考え続けている「合理的社会のなかの非合理」問題にも通じる問題じゃないかなあと。

ということで、愛について考えたLifeでしたが、相変わらず大変ためになりました。おそらくここで考えたことがまた小説にフィードバックされることでしょう。うーん、おもろい。
ぼくは昔からそうなんですが、基本的に偶然に身を任せて人生を楽しむというライフスタイルです(まあ……それゆえに昔は恐ろしい目にいっぱい遭遇したわけですが)、こうして偶然いろいろな面白い人とお話できることは非常に楽しいものです。(まだ考えたい人は以下の本がおすすめ) 

    

※脱線しますが偶然について
18世紀の科学者や哲学者たちは「偶然」は存在しないと考えていました。偶然のように見えるだけで、人間には及びもつかぬ神の法則が働いている、と……むろんこの考え方はある意味その通りです(この考え方は現在「隠れた変数理論」と呼ばれているらしい)。ただし、そのためにはあらゆるパラメーターをすべて計算しなくてはならない。これは膨大すぎて扱いに不便だ。いちいちそんなことするより、確率的にふるまっているということにしておいたほうが簡単に処理できる、という合理的判断で偶然を採用しているみたいです。
スタンフォード大学の統計学者パーシ・ダイアコニスはコイン投げの訓練を重ねた結果、10回連続して同じ面を出せるようになった。もし彼とコイン投げの勝負を二、三回したくらいでは偶然負けたとしか思えないだろう。これなど訓練次第でなんとかなるという例です。

(参考文献)

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愛という名のもとに


先週の文化系トークラジオLife、いかがでしたか? 愛についてさまざまな意見が交わされましたが、相変わらず非常にためになりました。毎回ほんとに創作意欲が湧くなあ……charlieやパーソナリティのみんなに感謝。LifeはこのあとPodcastでの配信もあるのでぜひお聞き下さい。特にラストのcharlieとぼくの二次元……いや四次元についてのトークを。
現在はpart2まで公開中です。

※「愛という名のもとに」part1をダウンロードする(mp3 27’55″)
↑をクリック

○告知だらけでも許される(ダメです!黒幕)。「愛」のあるラジオLife
・手塚治虫「ブッダ」。家族愛を営む余裕がなかった時代(charlie)
 →親子のような閉じられた「愛」(charlie)
・「愛に生き、愛に死ぬ」斎藤哲也さん
・文化系アダルトビデオ監督、二村ヒトシさん
 →AVだからこそ描ける愛の不条理(charlie)
 →僕らがやっているのは性の商品化。愛があるとヌケなくなる(二村)
・二次元愛担当。海猫沢めろんさん
・愛はヤバいのがデフォ(水無田)
 →他者と供にありつつ個人であること(水無田)
 →ハイデガーとエヴァ(水無田)
・10月からTBSラジオで柳瀬さん新番組 金曜18時~「柳瀬博一・Terminal」
・速水さん「愛」がタイトルに入った本を発売「ラーメンと愛国」
・最近はスナックでも働いているという作家・女優、千木良悠子さん
 →酔っぱらいに「愛」を注いでいます(千木良)
・”愛”といえばあの人...森山さんは電話出演
 →「愛」は「赦し」ですね(森山)
 →それストーカーの反省じゃないの?(水無田)

※「愛という名のもとに」part2をダウンロードする(mp3 28’19″)
↑をクリック

様々な愛のかたち
・「愛」を頻繁に使うと価値が下がる(リスナー)
・そもそも日本にカップル文化が成立したことがないのでは(水無田)
 →農村共同体、お見合い、専業主婦…(水無田)
 →70年代日本の女性は専業主婦一択のヌルゲーマー(水無田)
 →愛が無くても結婚・家族ができた(柳瀬)
・愛の種類。エロス、アガペー、フィロソフィー(charlie)
 →愛で営む家族のイメージが先行(charlie)
・許せないことが多いのは「恋」という名のもとにだからでは?(リスナー)
 →「恋」だから許せることも、結婚後「愛」ゆえに許せない(速水)
 →「我慢」と「許す」は違う。「愛」とはその存在をそのまま認めること(二村)
・アガペーを説いているはずの宗教が、最も戦争を生んでいる(水無田)
 →東洋では「愛」は解脱すべき対象(水無田)
・妻にAVを返却させることはできるか?(リスナー)
 →借りたタイトルによる。二村さんの作品は…(速水)
・格好付けずに酔った自分を晒したほうがモテた(リスナー)
 →それを自覚しだしたらアウト(千木良)
・友達が行ったナンパ講座にはラポール講座という副題が…(海猫沢)


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