「日常」カテゴリーアーカイブ

今年最後のご挨拶

そろそろ今年のまとめに入る時期がやってまいりました。
今年はみなさんどんな一年だったのでしょうか?
ぼくは、そろそろへらへらだらだらと遊んでるのにも飽きてきたので、ゲーム感覚で仕事を楽しんでみようかなあと思い、小手調べに、「よし、今年は締め切り完全死守してみるか!」と決めました。
結果、なんとか達成しました。俺すげええ!!俺超えらい!俺クソ最高!俺無限かこいい!俺激烈エクセレント!抱いて!
考えてみるとデザインの仕事をやっていたときは必ず納期3日前には終わらせていたので、それと同じ感覚でやれば良いだけの話だった!
でもさ……やっぱりこう、締め切りやぶって、原稿用紙をまるめて、頭をかきむしらないと作家じゃないよね! みたいな風潮あるじゃないっすか! そういうのってなんかいいじゃないっすか! ヒロポンうちたいじゃないっすか! 酒に溺れて女をいてこまして心中して世間から罵られたいじゃないっすか! ロックンロールじゃないっすか錆びついた弾丸で明日を打ち抜きたいじゃないっすか! あー……でも、なんか俺面倒くさいこと嫌いだから別にいいわ。
まあでも、ふだんは素行が悪いので、たまにはこういうギャップを見せといたほうがいいのかなあ……(いったい誰に語りかけているのかわからない!)。
とにかく、出来て当たり前のことなのですが、こういう小さな達成感というのは楽しいものです。
しかし、短くても毎月来る締め切りはきつい。毎月定期的になにかをするということを、もうかれこれ10年近くさぼって遊んでいたので、このリズムを取り戻すのに時間がかかる! 朝起きて夜寝る生活なんてしたのは10年ぶりくらいだった……。
そんなぼくの来年の目標は、小説の原稿をいっぱい描くことです(密林から来たぼくは10以上の数字が数えられません)。
今年は一冊も本が出なかったので来年は2冊くらいは出したいところです。すでに来年決まっている仕事もありますが、それは新年のご挨拶のときにでもまた。

みなさま、ひとまず明日は最後にこの番組でお会いしましょう。ではでは!

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ゼロセンターにいってきた!

ゼロセンターとはアーティストの坂口恭平くんが熊本に作った活動拠点。
震災後は疎開者を受け入れ、福島の子供たちを呼んでサマースクールみたいなことをやったり、ライブやったりしている謎の場所。ぼくはたまたま関西に帰っていたので、取材がてら足を伸ばして遊びに行ってみた。

熊本駅前

熊本は初めてだったのですが、すごく……イイ! 駅前につくと路面電車が走っていてすごく情緒がある。さっそく乗ってみる。

路面電車にも種類があるのですが、古いものがちゃんと動いているのがすごい。床が木なのも素晴らしく良い。

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街に近づくと城も見える。

城がちかいな

城からしばらく歩くとゼロセンターに到着。

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ゼロセンターの庭には坂口くんの作品「モバイルハウス」が。ソーラーパネルが設置されていてiPadが充電できる。移動が自由、ゼロ円生活のための必需品だ!

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ゼロセンター=古民家なのだが川縁のロケーションがこれまた良い。そして寒い(笑)すきま風だらけ。

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家賃を聞くと驚きの安さ……住みたい。今回は小説の取材を兼ねているので話をいろいろとお聞きする。

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そして夜は坂口宅に泊めて頂く。

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娘さんが似顔絵を描いてくれた!

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な、謎すぎる……。
子供さんが寝てからなぜか鬱関係の話になり、カナダで行われている鬱病治療を教えてもらう。エリア25という部分を電極で刺激するという、ルドヴィコ療法めいたすごい治療法。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=BYFJxtzM-cw[/youtube]

これ、やってほしい……。

翌朝起きて温泉に。

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で、次の日はゼロ小学校なるものを見学。生徒はキリン君という小学生の男の子ひとり。

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今回はイカダをつくる授業(笑)

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楽しい! 小学生のときに感じた冒険心を刺激される……。

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名残惜しくも新幹線の時間がきたので、近所にある漱石の家を見学。

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漱石坪井邸

ということでざっくりと紹介しましたが、熊本を中心に坂口くんはいろいろと面白いことを考えているので、興味があるひとはぜひ遊びに行くといいと思います。ありがとうございました。

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通販ファッションのすすめ

http://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/contents/topics/backnumber/0064/img/05.jpg
秋、ファッションの秋! 人並みにファッションを整えたい……が! 服を買いに行くための服がない!

……というオタにありがちなパラドックスを超えて、俺は最近全身、アマゾンユニクロの通販と近所のオリンピックで揃えるという荒技を身につけたぜ? ZOZOTOWN? オシャレすぎて俺の最強ブラウザ(ネットスケープ)じゃみられねえんだよ!

で、通販ファッションで失敗しないコツがちょっとわかってきたんで教えるぜ!

最大のポイントは、自分の体型とサイズを数値で完全に把握しているかどうかだと思う。
おさえるべきは肩幅とウエスト、まず自分にしっくり来る服を採寸してそれを調べるんだ。
たとえば、俺の場合、肩幅が42以上、ウエストが72以上の服はぶかぶかになるので買ってはならない。
経験上、これを守れば大きな失敗はしない。
次の問題はカラーとかガラだが、これは顔や髪と肌の色に関係するので、一度ユニクロの試着室で全色のシャツを着ることをすすめる(スマホで写真をとれ
俺のばあい、顔色が悪いので爽やかな色はアウト。
オタは基本、モノクラー(モノクロばかり身につける)が多い。ついついヴァンパイアとかをイメージしてしまうのはわかるが、中二っぽくなるので、ガラものを組み合わせるのが吉。
あとやたら茶色や目立たない服を買ってしまうがそれはオタの「目立ちたくない」という弱い心の発露なので、思い切って靴や靴下などに明るい色をいれてみようぜ。
一番オタっぽくなる部分は髪型とメガネだ。髪の毛はスポーツ刈りをまずやめよう。スポーツなどしないのだから。
不思議なことにオタには直毛が多い気がするのだが、強引にパーマをかけよう。そしてメガネはコンタクトにしよう。これだけでキミは完全にオタには見えないはずだ。

ひとことでまとめると、基本、リア充のコスプレをしているイメージでいけば間違いないぜ!

そんな俺ですが、コンビニの鏡に映った自分はオフの日の売れないホストにしか見えないんだぜ?

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Life感想戦「愛という名のもとに」

前回出演したLifeの模様が、Podcastでまとめてお聞きになれます。

文化系トークラジオLife
http://www.tbsradio.jp/life/index.html
※「愛という名のもとに」part1をダウンロードする(mp3 27’55″)
 告知だらけでも許される(ダメです!黒幕)。「愛」のあるラジオLife
※「愛という名のもとに」part2をダウンロードする(mp3 28’19″)
 様々な愛のかたち
※「愛という名のもとに」part3をダウンロードする(mp3 23’30″)
 愛とお金
※「愛という名のもとに」part4をダウンロードする(mp3 31’14″)
 「処女厨」トークに、にゃんちゅうの「知らんがな~」
※「愛という名のもとに」part5をダウンロードする(mp3 24’15″)
 「愛」と「子供」と日本の未来
※「愛という名のもとに」part6をダウンロードする(mp3 24’27″)
 「仕事」に「愛」は必要か
※「愛という名のもとに」part7(外伝1)をダウンロードする(mp3 38’03″)
 「愛」は地球を救う?
※「愛という名のもとに」part8(外伝2)をダウンロードする(mp3 33’20″)
 「愛」と「共同体」
※「愛という名のもとに」part9(外伝3)をダウンロードする(mp3 37’09″)
 二次元への高度な「愛」

主に外伝3がチャーリー×めろんの二次元愛対談となっているので……我々の次元を超えた話を聴きたい人はぜひそこだけでも。
自分用メモ――話をショートカットしすぎずもう少しわかりやすく説明する。つっかえないようにもちょっとゆっくりと話す。マイクとの距離を気にする。投げられた話題にはなるべく結論から入る――というあたりか。反射神経が鈍いのでもっと反応早くしないとな……情報の脳内ロード時間が長すぎるぜ……。以下、うまく答えられなかった部分の補足。

チャーリー「ニコニコのリュウセイは助ける人を選別している。じゃあ選ばれなかった人はどうなるのか」
これは以前の『すばる』対談の時以来の宿題になっていて、咄嗟に答がでなかったんだけど、外伝PART2でぼくなりの結論を出しています。それはぼくの中にある「偶然」を重視する思考です。
つまりぼくには愛がないので選別することができなくて、その場で偶然であった人を偶然のまま助けるしかない。チャーリーはこれを「縁」と呼んでいるわけです。でも、この親切は特に必然性がないゆえに弱い。それをどこまでやれるのか? 親切とは愛の分散処理だと思うんだけども。ではそれは、愛のような強度を持てるのか、それともそのような弱さでいいのか? 結局は決断が先延ばしにされているにすぎないのではないか? そういう疑問があるのではないかと思います。これについても、やはりぼくは偶然の側に立ちたい。ぼくの思う偶然の哲学というのは、単にたまたま出会ったから責任がないということではなく、偶然というのは結局のところ必然であるという哲学なんです。

どういうことかというと、こういうことです。
ある種の宗教というのは偶然を必然に替えることで成り立ちます。たとえば、幸運は神のご加護だとか、不幸だけどあなたがうまれてきたことには理由があるとか、そういったことです。しかし、こうした救済についての言説は、結局のところなにか弱いところを誤魔化している。ほとんどの宗教は自分たちの集団に都合の良い理由をつけて必然にしているのです。もちろんそれで救われるレベルならばいいのかも知れません。
しかし、ぼくの思う偶然とは、偶然を偶然のまま受け入れるという強度のある偶然のことなんです。偶然というのは必ず、自分が引き起こしたことであるはずなのです。つまり自分というファクターがない限り、自分にまつわるあらゆる偶然・奇跡は起こりえない。そうして俯瞰できたとき、人間は自己の運命を愛することが可能である(ニーチェがツァラトゥストラにて論じた話と同じです)。

偶然とは必然の否定である。それゆえにそれを必然と見ることがもはやすでに奇妙なことであるのですが。人はその偶然と必然を同時に生きることが可能なのです。そしてそれを認識することによって純粋な驚きが生まれます。
この驚きこそがぼくにとっては、かろうじて愛・希望と呼べるなにかではないかと思うのです。

斉藤さん「偶然を設計することは可能なのか」
これは、おそらく今のCGMやら絶対計算やらの拡がるネット環境をふまえての疑問だったのかも。それに関して言えば間違いなくYESです。たとえばアマゾンのレコメンド機能。「すげー! なんで俺の好みわかるの!? 偶然これ欲しいと思ってたんだよなー」っていうあれ。あれは、あきらかに自分のデータベースからフィードバックされたものであって、自分自身の鏡にすぎないはずなんです。それでもやはり一旦外部を経由すると違う角度で入ってくるので、これが偶然だと感じられてしまう(これは外伝PART3でのラブプラスの話とも繋がる。データベースの情報量がふえただけ、なんだけど、そのことが重要)。

では偶然と必然の確率的な線引きはどこか?
昭和初期の九鬼周造の著書にもこの問題はかかれています。偶然は計算可能か? いや無理ではないか――量子力学的現象として位置と速度の両条件を同時に決定できない(これを可能にできる仮想的存在が、いわゆるSFではおなじみのラプラスの悪魔というやつです)。そうして九鬼先生は偶然を偶然そのものとして扱えるのは哲学のほかないと断言します。とはいえ、まさか九鬼先生もこんなにPCが発達してデータマイニングが加速するとは思っていなかったでしょう……。

ところで「偶然」には、数学的・理論的偶然と、身体感覚としての偶然があると思うのです。この二つはかなり違うと思う。前者は主に無作為・ランダムと言われるものですが、ぼくらが日常で感じている偶然は後者のほうで、実は計算してみると意外と確率の高いものではないかと思います。たとえば、数学的にはたいしたことのない出来事(例えば40人のクラスで同誕生日の人がいる確率は9割)にもかかわらず、「すごい偶然」と感じることがあるわけで、そうしたことを織り込んだ社会デザインは容易いのではないでしょうか。

合理的な計算が可能になってきている社会のなかでは「偶然」すらコントロールされる運命にあると思います。例えば、コンピューター科学には「ランダマイズド・アルゴリズム」(乱択アルゴリズム)と呼ばれるアルゴリズム(算法)があります。これはプログラムで乱数を発生させるというもの(……よく考えて見ると不思議です)。偶然を取り入れる」という必然なわけです。人々が偶然だと思わされているようなことが実は必然だったりとか(原発問題とかすごくそいうのがありそう……)考え始めると恐ろしい。これは、チャーリーの考え続けている「合理的社会のなかの非合理」問題にも通じる問題じゃないかなあと。

ということで、愛について考えたLifeでしたが、相変わらず大変ためになりました。おそらくここで考えたことがまた小説にフィードバックされることでしょう。うーん、おもろい。
ぼくは昔からそうなんですが、基本的に偶然に身を任せて人生を楽しむというライフスタイルです(まあ……それゆえに昔は恐ろしい目にいっぱい遭遇したわけですが)、こうして偶然いろいろな面白い人とお話できることは非常に楽しいものです。(まだ考えたい人は以下の本がおすすめ) 

    

※脱線しますが偶然について
18世紀の科学者や哲学者たちは「偶然」は存在しないと考えていました。偶然のように見えるだけで、人間には及びもつかぬ神の法則が働いている、と……むろんこの考え方はある意味その通りです(この考え方は現在「隠れた変数理論」と呼ばれているらしい)。ただし、そのためにはあらゆるパラメーターをすべて計算しなくてはならない。これは膨大すぎて扱いに不便だ。いちいちそんなことするより、確率的にふるまっているということにしておいたほうが簡単に処理できる、という合理的判断で偶然を採用しているみたいです。
スタンフォード大学の統計学者パーシ・ダイアコニスはコイン投げの訓練を重ねた結果、10回連続して同じ面を出せるようになった。もし彼とコイン投げの勝負を二、三回したくらいでは偶然負けたとしか思えないだろう。これなど訓練次第でなんとかなるという例です。

(参考文献)

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