「書評」カテゴリーアーカイブ

ダ・ヴィンチ 12月号

ダ・ヴィンチ 2013年 12月号 [雑誌]

いちばん好きな高橋留美子は「笑う標的」(OVA)な海猫沢です。
ダ・ヴィンチ12月号は高橋留美子特集!今見るとラムさんの胸ってわりとち……いえ、なんでもないです。
今回のブックウォッチ二冊は、

マカロン大好きな女の子がどうにかこうにか千年生き続けるお話。 (MF文庫J) あたらしい野宿(上)

デス!

野宿童貞とマカロン童貞はぜひ読めばいいと思います。

もうね、最近野宿とかしたくてたまらないんですよ。家にいるともうなにか……原稿とか……人生とかが……おいかけてくるんだ……野宿りたい!!!もうだめだ!!!だめだあああ!!いやむしろもうだめすぎていい!いいんだよ!いいんだっつてんだコノヤロウ!!さっき中華屋で喰った麻婆ラーメンが辛すぎるんだよおお!!!だからオレはエロマンガについて書く!今週末あたりcakesさんのマンガ評は、エロマンガ特集です!とにかくもうヌルい企画はやめだ!おれは……おれはもっと燃え尽きて灰になりたいんじゃあああああ!!!!!!この世界に仕事なんてないんじゃああ!すべてが遊び!!!!命がけの遊び!!!死ぬまでのひつまぶしなんじゃああああ!殺伐殺伐殺伐!!!!盛り上がってきたああああ!!!!以上!!!!!ハッテンバから陛下へ日本一格調の高いPN海猫沢めろんがローリング切腹しながら申し上げました!!!

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【書評】「魔法使いの弟子の囁き」

U179 ナイフ投げ師

ミルハウザー関係の文章、その2。これは「すばる」に載ったそのものズバリの『ナイフ投げ師』書評です。ぜひみなさま買いましょう。てか、ミルハウザーは内向的で暗くてファンタスティックで非常に良いので、ぼくと波長があう人ならきっと好きだと思います。

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「魔法使いの弟子の囁き」

ウンベルト・エーコは『エーコの文学講義』の第一講目において「語りの速度」について述べている。内容を要約すればこうだ――速く語れば多少の無茶は許される! 桃の中から赤ん坊が飛び出す奇怪な物語でも、さっさと主人公を鬼退治に出かけさせれば聞き手には疑問を持たれない。逆に細かく解説するほどボロが出る。この「速度」の問題は小説において非常に重要である。今日で言うなれば携帯小説が最速で、ロシア古典文学あたりが遅いといった具合だが、早ければ面白いわけではないし、遅ければ重厚なわけでもない。前者は薄っぺらいという批判に晒され、後者は最後まで読まれないというリスクが生ずる。時に速く、時に緩やかに、速度さえ忘れさせてくれる魔法のような語りこそが理想ではなかろうか? そういう物語を読みたくないだろうか? あなたが首肯したところで、すかさず私が差し出すのはスティーブン・ミルハウザー『ナイフ投げ師』である。地味なタイトルと「そのままやん」とツッコミたくなる装画(男がナイフを投げている)に首をひねるやも知れぬが、これこそ、あなたが求めてやまぬ魔術的な語りに満ちた書物。多忙な方も心配ご無用。12の短篇で構成されているゆえ、どれから読んでも良いし、すぐ読める。試しに湯船に浸かりながら気楽に読んでいただくとしよう。頁を開くとまずは表紙の男「ナイフ投げ師」が華麗に現れ、圧倒的な技を披露する。その至高の芸に圧倒されているうちに物語は終わり、あなたは熱に浮かされたように次の「ある訪問」を読み始め、登場する友人の妻の姿に度胆を抜かれ、子供たちの怪しげな秘密をめぐる「夜の姉妹団」にさしかかる頃、頁をめくる手はもう止まらない。間男が味わう悪夢「出口」。口直しは「空飛ぶ絨毯」楽しくも儚い夏休みの想い出。続く「新自動人形劇場」のからくり人形に魅了されるあなたの瞳はサーカスを見る子供のようだ。ドビュッシーのメロディの如き「月の光」の読後、酩酊した足で歩く百貨店「協会の夢」で迷子になってもご安心を。「気球飛行、一八七〇年」が冒頭の一行で空に舞い上がられせてくれる。あなたはふと気になる。いい加減のぼせても良い頃だ……気づくとそこは湯船の中ではない。どこなのだ?麻薬のような遊園地「パラダイスパーク」を通り抜け、謎の奇人の演説「カスパー・ハウザーは語る」その声に耳をかたむけよう。ここがどこか?そんなこと忘れれば良い。カッパドキアの遺跡の如き地下通路「私たちの町の地下室の下」を読み終わる頃、あなたはもうミルハウザーの世界で溺れ死んでいる。

すばる 2008年 04月号 [雑誌]
(初出:すばる 2008年 04月号

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「ダ・ヴィンチ」六月号で紹介した本は…

ダ・ヴィンチ 2012年 06月号 [雑誌]

今月もやってきました。「ダ・ヴィンチ」のブックウォッチャーコーナー。
エントリは、われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る(米長 邦雄)と、痕跡本のすすめ(古沢 和宏)の二冊。

われ敗れたり―コンピュータ棋戦のすべてを語る 痕跡本のすすめ

エントリから掲載までタイムラグがあるので、選んだ本が予想以上にメジャーになっちゃったなぁ。ネットとリアルがこれだけ近くなると、さすがに「マイナーで面白いけど知られてなくて売れてない本」というのを探すのが超ムズい。マイナーで面白い本があっても、ネットでは「マイナーで面白い」ということが話題になって知れ渡っているという……。
知名度、実売、面白さ、の3つのパラメーターでいうと、知名度C、実売C、面白さA、くらいの新刊が最高なんだけど、なかなか出会えない。ネットとリアルの読者層が違うので、紹介する意味はあると思うんだけども。そんなことどうでもよくてオレが楽しくない。
なんかもう、自費出版の自伝とかそういうところにしか、本当にマイナーで面白いものは存在してねーんじゃねえかな(『本人』のコンセプトはやっぱ面白かったのかも知れない)。

それとはまた別のパターンで、「売れているのにマイナー」な本もあって、たとえばこれ

 棺一基 大道寺将司全句集

 1948年生まれ。東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーであり、お召列車爆破未遂事件(虹作戦)及び三菱重工爆破を含む3件の「連続企業爆破事件」を起こし、1975年逮捕、1979年東京地裁で死刑判決、1987年最高裁で死刑が確定した。2010年に癌(多発性骨髄腫)と判明、獄中で闘病生活を送っている。著作に『明けの星を見上げて』『死刑確定中』『友へ』『鴉の目』がある。

確定死刑囚として37年に及ぶ獄中生活を送る大道寺将司の全句集……これが売れている(アマゾンの句集ランキングでは当然一位)。経歴を見ればわかるとおり、かなりアグレッシヴで行動力のある方です。NHKの番組で紹介されたことがきっかけで売れたそうなんですが……これは「本の雑誌」とか「ダ・ヴィンチ」では特集されない。絶対されない。
いつか、こういう潜在的爆発力のある本を見つけたいと思いつつ、次回に臨みたいですね。

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書評『ここに消えない会話がある』

九〇年代~〇〇年代において隆盛を誇った、いわゆる「セカイ系」と言われる作品群は様々な批判にさらされながらも、劇場版ヱヴァンゲリヲンのヒットに見られるように、今なおその命脈を保ち、商品としてのニーズをまだ失ってはいない。そのセカイ系に対するひとつの批判として「社会構造を描け」、というものがある。内向より外向というわけだ。だが、セカイもシャカイも認識の枠組みでしかない以上、知識の過多の差でしかないのではないのだろうか。

確かに井戸と海はちがう。しかし、乱暴に言ってしまえば、水たまりという意味ではなにも変わらぬ。井の中の蛙が大海を知らぬとなぜ断言できる? 紀元前、アレクサンドリア国立図書館の館長であったエラトステネスは、地上にいながら地球の周囲の長さを求めたではないか。しかも棒きれひとつで。アインシュタインは火星に住んでいたか? ポアンカレ予想を解いたペレリマンの家は一二次元にあったか? 否、誰もがこの狭い世界で生きていた。巨視的に把握すれば確かにこの世には、個人、社会、世界、という構造があるかのように見える。啓蒙主義的な立場からそれを示唆するのは確かに心ある親切な態度だが、「社会」という概念を押しつけずとも、この日本にはもっと適切な「世間」という言葉があるではないか。「個人」と「世界」短絡に陥ることない「セケン系」というものが、セカイ系とシャカイ系の間にあっていいのではないだろうか。『ここに消えない会話がある』にはその「セケン系」の可能性が描かれている。

新聞のラジオテレビ欄を制作する会社で働く、二〇代半ばの男女六人(広田、岸、佐々木、別所、魚住、津留崎)が、それぞれ仕事仲間として会話を交わし笑い会う「職場」小説――著者自らがエッセイで“私は映像イメージが湧くようなものや、ストーリーにうっとりするようなものは書かない。言語表現として面白いもの、ぎりぎりのもの、甘くて硬いものを書きたい”と宣言しているが、それはつまり、登場人物を物語の従属物として描かないという意味でもあろう。その意志は完遂されている。
『ここに消えない会話がある』というタイトルは非常に矛盾に満ちた言葉だ。「ここ」と書かれた瞬間に時間はすぎ、もはや「ここ」はどこにもなく、「声」によってなされる「会話」が消えないなどということはありえない。だが、たしかに、ありえないはずのものが[ここ]には[ある]。

主人公の広田は、心の中に暗いものを抱えて毎日をやりすごしている。彼は冒頭で夏の気配と海風を感じるが、それは、ただ爽やかなだけではなく、不穏な気配と背中合わせになっている。それを救うのは、大きな事件でも、彼のパソコンのモニタにびっしり貼られた箴言――「文字」――でもなく、会社での小さなコミュニケーションである。他愛のない「会話」と、ラテ欄の間違いを探すための「読み合わせ」。この空間でかわされる会話は彼らの仕事や日常の一部でもあり、癒しでもある。着かず離れず、絶妙な距離感で醸成された「世間」が、広田を、短絡的なセカイ系に流れるのを引き止める。
ここで描かれる登場人物同士の「ゆるいつながり」はまた、縦(作品内)と横(作品外)にもひろがっている。
例えば、彼女のデビュー作である『人のセックスを笑うな』のヒロインであるユリの夫は、本作の登場人物たちと同じ「新聞のテレビ欄を作る仕事をしているサラリーマン」だったし、『浮き世でランチ』の主人公、丸山さんの職場は「海のちかく」であり、仕事は会社紹介の情報誌作りだ。夕方になると、口に出して原稿を読み合って文章に間違いがないかをチェックする「読み合わせ」の作業をする。無関係ながらもどこかで接点を感じさせるその感じは、最近流行している「Twitter」とも良く似ている。
「Twitter」とはマイクロブログと呼ばれる、ブログとチャットの中間のようなもので、ひたすら一四〇文字以内の「つぶやき」を投稿していくという奇妙なサービスである。例えば今の私ならば「恐山から帰ってきて原稿書いてるなう」「マジやべえ、締め切りちけえ!」「ピルクル飲みすぎてお腹がいたいのニャ……」とかなんとか、そんな感じのつぶやきを投稿する。そうすると、上から下へと順に、自分のページにそれが表示される。
「Twitter」内では様々な人が「つぶやき」を公開しており、気に入った人を「フォロー」することによって、自分のスレッド(タイムラインという)に、自分の発言に加え、その人のつぶやきが時系列で表示されるようになる。どんどんフォロワーを増やしていくと、その人数分、ウインドウが賑やかになっていくという仕組みだ。もちろん一方的につぶやくのではなく、相手のつぶやきに対して返事を返すことも可能だ。一行ニュース配信サービスを行っている新聞社、短い小説を書いている作家、知人、友人、知らない人、ウインドウの中でいろんな関係性が入り乱れて勝手なことをつぶやいている様は、まるで休日の騒がしいファミレスのようで、楽しいとかを越えて、もはやカオスであり、小さく圧縮された世間のようだ。「いまなにしてる?」「原稿書いてる」「らーめんたべたい」「ファイル消えた」流れていく「消えない」「会話」。
それが、ゆるくつながる時代の空気なのだ。

2010年、米国議会図書館はツイッターの記録をすべてアーカイブすると決めた――ここにもまた消えない会話がある。

初出:2009年 群像

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