絶賛発売中ですがちょい部数少ないのでお早めにお買い求めください。
新しい読者のみなさんにも届いているようでなによりです。
いやしかし10年……10年ってほんとあっという間ですね。最近、ちょっと借りてる仕事場の隣の屋敷に住んでいるおばあちゃん(通称みーやん)と仲良くなって、みーやんの部屋でお茶のみながら話しました。そんで「人生のアドバイスなんかありますか」って聞いたら「人生はあみだくじ!子供の頃に機銃掃射されて死にかけたのよ私。そして短い!やりたいことはすぐやりなさい!40代で南極にいっておいてよかったわ。今はいけないもの!」と絶叫されました(何者かよくわかりませんがめっちゃ金持ちであることは確か)。なにかとてつもなく深淵な哲学を感じました(部屋にはポリネシアの仮面とか絵画とか漢詩とか時計とか暖炉とか壺とかユトリロの絵がいっぱいある)。
そうですね。人生は短く、そしてあみだくじですよ。
ところで先月、ぼくはこういうツイートをしました。
文庫版「左巻キ式ラストリゾート」ほぼ完成。デビュー10年にしてデビュー作を文庫にしていただけたことはいろいろな意味で感慨深い。そして、反省も多い。東さんの解説は自分が思っていることを代弁してくれていて、襟を正す思いで読んだ。ぼくは、魂をまだあのゼロ年代に置き忘れている。
— 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
前に進むためには、まだ必要なことがある。置き忘れた魂を持って、未来まで走ることだ。そのためには、ぼくのゼロ年代を殺さなくてはいけない。連載中の「ディスクロニアの鳩時計」が終わり、ぼくを殺して、やっと新しく始めることができるのだと思う。あるいは完全に終わるか。
— 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
デビュー作の、あの、最後の1ページの言葉の先へと進みたい。そこからやっと始められる。あの頃からぼくを見ている読者はもういないかもしれないけれど、もしいるなら、まだしばらく付き合ってほしい。 — 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
10年がすぎて、ゼロ年代は過去になった。いやはや遠くなってしまったもんだ。
あのころ期待してくれた過去の読者たちは、たぶんもういないのかもしれない。
その期待に応えられなかったという忸怩たる思いをずっと抱えながら、10年がすぎて思う。
たぶんぼくはあのとき失敗したんだろう。
べつに悪いことだけでもないし、良いことばかりでもない、だけどなぜかどこかでいまも過去のことを考えてしまう。
考えても仕方ないことはわかっているけれど、考えてしまうのが人間というものなわけで、こればっかりは仕方ない……。
それでも、生きている限り、生きることは続いていく。
そのことを教えてくれたのは前著に書いた、友人Kだった。
また、ここからはじめてみるかなと思う。
人間は本気で願えば、いつでも生まれ変わることができるとぼくは信じている。ただ、誰も本気で願わないだけだ。そしてぼくもやはり、生まれ変わることなんて望んでいない(『零式』で書いた通り)。
変わってしまったことと、変わらないことを受け入れ、ただ、ここからまた新鮮な気分で小説を書いていけたらな、と思うだけだ。
思えばなぜかぼくはいつもなにかの「あいだ」にいた。2次元と3次元、リアルとフィクション、ゼロ年代と10年代、批評と文学、エンタメと純文学、オタクとヤンキー、裏と表。
その「あいだ」を埋めるような仕事をしようとおもっていた。
次はそのすべてを重ねて、どんなジャンルでもなく、どんなジャンルでもあるような、自分なりの小説を書きたい。
……とはいえ、まだやり残していることがいっぱいあるので、そんなにすぐになにかが変わるわけでもない。物事はグラデーションでだんだんかわっていくのだ。
よかったらいつもちょくちょく見守ってください。そして、左巻キ式の衝動を引き継いだ、ゲンロン通信で連載中の「ディスクロニアの鳩時計」もよろしくお願いします(友の会の会員しか読めないんですが)。
来月7月にはゲンロンカフェにてイベントもあります。
さらに来月はもう一冊、文庫になる本があるので、またそちらも告知できればと。小説のほうも着実に進めており、今年はいろいろとご用意できるかと。
まだまだ終わらない。
