「里山ウェブの時代」 放送終了しました。アーカイブはこちらで随時更新されますー。
http://www.tbsradio.jp/life/20140622/
出演者:鈴木謙介、津田大介、速水健朗、塚越健司、加藤貞顕、柳瀬博一、常見陽平、海猫沢めろん、西森路代、斎藤哲也ほか
予告編の出演:鈴木謙介、速水健朗、西森路代、長谷川裕P(黒幕)
※ラジコではインターネットで放送同様、音楽も聴けます。
※Ustreamによる動画生中継も行います⇒ http://ustre.am/lrQf
http://www.tbsradio.jp/life/20140622/
出演者:鈴木謙介、津田大介、速水健朗、塚越健司、加藤貞顕、柳瀬博一、常見陽平、海猫沢めろん、西森路代、斎藤哲也ほか
予告編の出演:鈴木謙介、速水健朗、西森路代、長谷川裕P(黒幕)
※ラジコではインターネットで放送同様、音楽も聴けます。
※Ustreamによる動画生中継も行います⇒ http://ustre.am/lrQf
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2ヶ月に一度になったLifeですが、今月の放送テーマは「里山ウェブの時代」です。
ぼくもお邪魔いたします。
テーマについて、詳しくはこちらを
http://www.tbsradio.jp/life/2014/06/_httpstwittercomshikaosugastat.html
リスナーの皆様からも「クリエイターと受け手のよい関係を目指す動きとして登場してきている『里山ウェブ』。あなたは支持しますか?」というテーマでメールを募集します。有料コンテンツ、いくらまでなら払いますとか、こういうモデルで成功している人がいるよ、とか、そんなメールもお待ちしています。
メールアドレスは [email protected]
なお今回の放送は
http://www.tbsradio.jp/life/20120422/
これなんかを予習していると理解が深まるかも。
放送は今週末22日(日)深夜なのでお間違えのないよう!
イベントのお知らせです。来月7月なんですが、これは……ガチでやばい。
左巻キ式VSさやわか式といった感じでしょうか。
さやわか式☆現代文化論 #9
「コミュニケーションは想像力を超えるか――ゼロ年代の終わりと10年代の行方」
さやわか×海猫沢めろん×東浩紀
【イベント概要】
好評シリーズ「さやわか式☆現代文化論」に東浩紀が乱入!
海猫沢めろんのデビュー作『左巻キ式ラストリゾート』が、この7月に10年越しで復刊された。キャッチフレーズは「ゼロ年代を葬送する」。海猫沢自身は、復刊にあたり「当時、ぼくは無名で、わけのわからない愛憎にまみれていた。なにもかもを憎んでいた。それでもなにかを愛したいと思っていた。すべてが最低ですべてが最高だった」と語る。典型的なゼロ年代語りだ。
そんな情念の結晶を、まっこうから否定する(ように見える)のがさわやかである。さやわかのは最新刊『一〇年代文化論』で、2010年代の若者文化の特徴として、「残念」というキーワードのもと、あらゆる個性を「キャラ」として受け入れていく感性を挙げる。すべてはコミュニケーションのネタとして、軽やかに消費される。もしこの仮説が本当だとすれば、海猫沢のコメントほど「非一〇年代的」なものもない。
はたして海猫沢の感性は古いのか?
それとも海猫沢自身が「残念」なのか?
残念はいいことなのか?
残念でクリエイションできるのか?
議論にはさらに、『左巻キ式ラストリゾート』に解説を寄せ、『一〇年代文化論』に苦言を呈した東浩紀が参入。討論を掻き回す。
コミュニケーションか、想像力か。
2010年代を見抜く力が試される。
2014/07/12 (土) 19:00 - 21:00
乞うご期待!!!!
絶賛発売中ですがちょい部数少ないのでお早めにお買い求めください。
新しい読者のみなさんにも届いているようでなによりです。
いやしかし10年……10年ってほんとあっという間ですね。最近、ちょっと借りてる仕事場の隣の屋敷に住んでいるおばあちゃん(通称みーやん)と仲良くなって、みーやんの部屋でお茶のみながら話しました。そんで「人生のアドバイスなんかありますか」って聞いたら「人生はあみだくじ!子供の頃に機銃掃射されて死にかけたのよ私。そして短い!やりたいことはすぐやりなさい!40代で南極にいっておいてよかったわ。今はいけないもの!」と絶叫されました(何者かよくわかりませんがめっちゃ金持ちであることは確か)。なにかとてつもなく深淵な哲学を感じました(部屋にはポリネシアの仮面とか絵画とか漢詩とか時計とか暖炉とか壺とかユトリロの絵がいっぱいある)。
そうですね。人生は短く、そしてあみだくじですよ。
ところで先月、ぼくはこういうツイートをしました。
文庫版「左巻キ式ラストリゾート」ほぼ完成。デビュー10年にしてデビュー作を文庫にしていただけたことはいろいろな意味で感慨深い。そして、反省も多い。東さんの解説は自分が思っていることを代弁してくれていて、襟を正す思いで読んだ。ぼくは、魂をまだあのゼロ年代に置き忘れている。
— 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
前に進むためには、まだ必要なことがある。置き忘れた魂を持って、未来まで走ることだ。そのためには、ぼくのゼロ年代を殺さなくてはいけない。連載中の「ディスクロニアの鳩時計」が終わり、ぼくを殺して、やっと新しく始めることができるのだと思う。あるいは完全に終わるか。
— 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
デビュー作の、あの、最後の1ページの言葉の先へと進みたい。そこからやっと始められる。あの頃からぼくを見ている読者はもういないかもしれないけれど、もしいるなら、まだしばらく付き合ってほしい。 — 海猫沢めろん (@uminekozawa) 2014, 5月 17
10年がすぎて、ゼロ年代は過去になった。いやはや遠くなってしまったもんだ。
あのころ期待してくれた過去の読者たちは、たぶんもういないのかもしれない。
その期待に応えられなかったという忸怩たる思いをずっと抱えながら、10年がすぎて思う。
たぶんぼくはあのとき失敗したんだろう。
べつに悪いことだけでもないし、良いことばかりでもない、だけどなぜかどこかでいまも過去のことを考えてしまう。
考えても仕方ないことはわかっているけれど、考えてしまうのが人間というものなわけで、こればっかりは仕方ない……。
それでも、生きている限り、生きることは続いていく。
そのことを教えてくれたのは前著に書いた、友人Kだった。
また、ここからはじめてみるかなと思う。
人間は本気で願えば、いつでも生まれ変わることができるとぼくは信じている。ただ、誰も本気で願わないだけだ。そしてぼくもやはり、生まれ変わることなんて望んでいない(『零式』で書いた通り)。
変わってしまったことと、変わらないことを受け入れ、ただ、ここからまた新鮮な気分で小説を書いていけたらな、と思うだけだ。
思えばなぜかぼくはいつもなにかの「あいだ」にいた。2次元と3次元、リアルとフィクション、ゼロ年代と10年代、批評と文学、エンタメと純文学、オタクとヤンキー、裏と表。
その「あいだ」を埋めるような仕事をしようとおもっていた。
次はそのすべてを重ねて、どんなジャンルでもなく、どんなジャンルでもあるような、自分なりの小説を書きたい。
……とはいえ、まだやり残していることがいっぱいあるので、そんなにすぐになにかが変わるわけでもない。物事はグラデーションでだんだんかわっていくのだ。
よかったらいつもちょくちょく見守ってください。そして、左巻キ式の衝動を引き継いだ、ゲンロン通信で連載中の「ディスクロニアの鳩時計」もよろしくお願いします(友の会の会員しか読めないんですが)。
来月7月にはゲンロンカフェにてイベントもあります。
さらに来月はもう一冊、文庫になる本があるので、またそちらも告知できればと。小説のほうも着実に進めており、今年はいろいろとご用意できるかと。
まだまだ終わらない。