月別アーカイブ: 2011年6月

書評『ぼくは落ち着きがない』


▼オレらとキミらの落ち着くとこ

図書室の奥、ベニヤの合板で仕切られた部室、それをコンコンとノックする。 「なんだ?」内側に響いたらしい。 「今、コンコンっていったぞ」 「入ってまーす」

この本、かなりイイかんじ。いや、マジで。 内容を一言で説明すれば「桜ヶ丘高校図書部員たちの日常を描いた作品」なんだけど、読んでたらいまどきの高校生(文系)になったような気がしてくる。でも、大人が子供の世界を「等身大」に描けるなんてありえるのかな? 携帯電話の機種のことで言い争ったり、マンガの話題で熱くなったり、『カツクラ』が重要な情報源だったり、細かいディティールがなんだかホンモノっぽい。もしかしたら大人からみたら、子供である高校生の空間なんて簡単に書けるのかもしれない。だって子供の世界なんか、この小説に出てくる部室――ベニヤで仕切られた空間の内部――みたいな狭いもんなんだから。でも、これを書いた人が心がけたのって、高校生をリアルに描くとかそうゆう部分じゃなくて、別のところにあるような気がする。もしかするとこの人、オレらが読んでる携帯小説とかライトノベルの気持ちよさ(ゲーム的リアリズム)を、おじさんとかが読んでる小説の手法(自然主義的リアリズム)で描こうとしたんじゃないかな。 どうゆうことかってゆうと、「なんだかうまく言えないけど、なんかいいよね」みたいな感想しか出てこないタイプの小説があって。たとえば保坂和志さんの『プレーンソング』とか。あれは、小説からネガティヴな磁場をとりのぞくっつー、従来のネクラ文学へのカウンター的手法を取り入れた結果、起伏はないけど、なんかキモチイかんじを出すことに成功してる。保坂さんは自分の本のなかで――たとえば「○○は去っていった」という文章があれば、その○○さんとは二度と会えないような気がする。叙述された文、および小説にはどうしてもネガティヴな磁場のようなものが発生してしまう――とかってゆってた。これは、確かにそうかもって思える。だいたい、文章をつらつらと書き連ねる動機のほとんどって、頭のなかでかかえきれなくなった悩みとかじゃん。それに「文学」ってだいたい人が死んだり悩んだりするじゃん。そこから連想されるのって、軽いもんじゃなく、重くて、どっか暗くて湿っぽいもんだけど、でも、これって「文学」に慣れ親しんだ人のもってるイメージかも。もし仮に楽しい小説しか読んだことのない人がいたとしたら、保坂さんがゆってるみたいな「ネガティヴな場」を小説とか叙述される文には感じないと思う。その証拠に、たとえばオレ、大正時代のものを読んだら、どんな暗い話でも、その裏に萌えキャラとか蒸気機関で動くロボットの気配を感じる(大正時代を舞台にした「サクラ大戦」というゲームの影響だけど……)。まあでもそれはオレが頭悪いからかも。でもオレらの本の読み方って、そういう感じで、おじさんとかの読み方とはぜんぜんちがう気がする。 なんの話してたっけ……えーと、つまり、この小説って、比較的新しい文学であるラノベ的な気持ち良さと、おじさんたちが感じてる従来の文学の匂い。その両方があって、双方が理解できる中間くらいのポイントでうまく書かれてて、しかも、それは意図的なものだろうってこと。この人の作品って、読んでるとサブカルチャーに囲まれて生きてきたんだなって感じがする。それってすごく広いのに窮屈で、寛容そうに見えて自己完結してて、その気分って、

このベニヤの壁の外にあるのは図書室だけではない。世界の全部があるのだ。  (中略)  皆いつだって、うつむいて携帯電話の液晶の画面をみて、メールをしている。皆、「誰か」にしているんだ。だけど、本当に、皆、この世界そのものをノックしているのかな……。

とかっていう一節に書かれてることに近い。 でも、オレらがほんとにひっかかってるのは「この気分」じゃない、もうひとつ上の段階の「気分」。どういうことかってゆうと、この一節って、登場人物が自分をとりまく狭い世界に疑問を抱くというごく自然な流れだけど、考えてみると彼女自身が実は小説の登場人物=キャラクターなわけで、普通はそんなこと関係ないだろうけど、オレらはこのことに自覚的にならざるを得ない。そうすると登場人物が疑問を抱いている世界って、フィクションの世界のことで、それに感情移入しているオレたちって一体なんなの? ってなふうに、どこまでいっても「らしさ」(リアリティ)しかないこの世界の現実について考えてしまう。世界がどんどん嘘くさくなっているから、本当のことだって全部嘘に見えてしまう。フィクションもノンフィクションも、どっちだって同じで、だからこそ何の引力も感じずに自由にそこを往き来できる。けど、この作者はかすかに引力を感じてて、それを技術で振り切ってる感がする。だからこそ作者が意図したほど、登場人物がキャラクター化していない――背景はなんかリアルなのにウソっぽい心地よさがある。この作品は、引力の均衡点(ラグランジュポイント)みたいなところに浮かんでる。ラグランジュポイントはスペースコロニー建設に最適……つーことで、ゆとり世代のブンガクと、旧世代の文学が共存するための最初の一歩かもしれない。違うかもしれない、そうかもしれない、オレも落ち着きがない。

◎補足:読後、カバー裏にある登場人物たちの後日談で、驚くべき事実が明かされるのだが……それは読んでからのお楽しみということで。(文庫版もあるのか??)


初出:群像

[`evernote` not found]

脳髄幽霊、ほんまにつかれる

十年以上も前の、夏の話である。
近所の友人Aの家に遊びに行くと、部屋のゴミ箱にほぼ新品のスニーカーが捨ててあるのを発見した。
「この靴もう捨てんのん?」
Aは無言で首肯。不思議に思い、
「なんで?」
と続ければ、
「脳髄を踏んでしもた……」
とシュールな返答。
脳髄。
「ああ……まあ夏やしね」
むろん、季節など無関係であったが、この得体の知れぬ展開に呑まれると、夢野久作先生の小説のような、ドグラ・マグラした場所に迷い込んでしまいそうであったので、どうにかして語尾を風流にしてみたものの、何の効果もなし。吾々は冷房の音が流れる部屋で緘黙。
頭をひねった。
脳髄を踏めるような立場にある人間というのは、この現代社会に於いては非常に珍しく、医者かヤクザくらいのものであり、どちらも何かを極めた専門職であるが、Aは単なる建築専門学校生である。数分後、Aが、とある駅で飛び込み自殺に遭遇した話をはじめるに至って、思い出した。
Aは、酷く自殺者に遭遇する確率が高い男だった。
彼は繊細、且つ優しい男であったので、それからあとも偶然の死に遭遇することが続くにつれ、やがて少し心を病んだ。過剰に自殺者に感情移入しすぎたのだ。そのうち、友人たちの間で、ある噂が囁かれはじめた。
Aの病の原因は「霊に憑かれた」せいだというのである。
これはまずい。
自分は子供の頃よりオカルト雑誌を愛読しておるのだが、このようなものを買う人間は二種類に分けられる。ビリーバーと呼ばれる神秘主義者と、それ以外――単なる興味本位、懐疑主義者を含む、その他諸々――である。友人たちは今まさにビリーバーと化している……自分は後者であり、幽霊とは、死者と自分との交換可能性想像力の生み出す妄想であり〈憑かれる〉というのは、その可能性を自らの内に引き込んでしまうことである、と考えていた。
その場を覆うにわか神秘主義の闇を払い、Aの擁護をするつもりでそのことを友人たちに伝えると、冷たい視線と共に、
「屁理屈ばっかゆってへんと、ちゃんと考えろよ」
と、怒られた。
……納得できない。なぜだ……ここで一番合理的かつAの症状を理解しているのは自分のはず……どういうことであろう……この居心地の悪い空気は一体……。
自分は大人になってから気づいた。あの場では、理屈や、幽霊、心の病などはどうでも良く、共感能力を試されていたのである。そしてその共感の輪に混じれなかった自分は、心の冷たい男なのである。
確かに、先程の説でいくと、〈憑かれない〉人間は情が薄く、共感能力が低いということになる。無論それを否定する気はないが、自分は共感に共感する、ノイズ混じりのフィードバック奏法的な共感がそれほど大切だとは思えない。だからと云って、今、共感を売り物にした商品が蔓延していることについて批判をするつもりもない。欲望されているものが的確に受け手に伝わっているだけで、世の中の仕組みが上手く廻っているではないか、としか思わぬ。興味がない。
世の中で求められている物は、それ自体が欠如しているからこそ欲望されるに違いない。これほど共感が求められているのを見ると、共感能力の欠如した人々が、世の中の大多数ということになる。ならば、共感能力の欠如した人間を、マイノリティとして取りあげ、それが犯罪者の条件であるかのように騒ぎ立てる犯罪評論家の物言いは間違っているということになる。
逆に、そうでないなら彼らには「共感能力の欠如している人間に共感する」という能力が低いことになる……と、云うような思考の果てにたどり着くのは、面倒で疲れるからもう共感トカ必要ないのでは? という結論。
このような社会において必要なのは、共感さえも廃した絶対的な個人的経験であり、その空間では共感を軸にした排他性は根絶されるであろうから、冷静な物の見方が可能なはずである。
いや、しかし、それさえも文字に書かれた瞬間に共有され共感されてしまうのだろう、ならばもはや理解出来ぬ言葉で自分だけに書くしかない。
無茶を云っているように思われるかも知れぬが、会ったことも話したこともない幽霊の実在を信じるならば、これも信じられるはずである。
――以上は極論であると同時に己も含む、共感能力の低い人々の弁護であるが、このように開き直るのもどうかと思い、自分はバランスの良い共感能力を磨く訓練をはじめた。
共感を磨くには平均的感性を手に入れなくてはならない。つまりそれは活動的で健康的、携帯小説や浜崎あゆみで泣けるような感性ということであると考え、田舎に帰省の折、履きつぶして棄てた脳髄スニーカーと同じモデルの靴を買い、真夜中に肥料の臭いがする田圃と、巨大な沼地の周りを全力疾走しながら、鼓膜が破れるほど轟音で浜崎あゆみを脳に流し込むこと一週間、気づけば自分は星空の下で号泣していた。キラキラした音楽で宇宙と交信、共感能力の極限を体験できたのである。めでたし。
過剰分泌される脳内麻薬により発狂寸前の神秘を感じると同時に、そのとき、電撃に打たれたように、ある疑問が降ってきた。
問)Aが脳を踏んだ場所は神戸駅であったのは何故か?
そして、その答えに気づいた。

頭【コウベ】だから……。

くだらなさすぎる頓知の一撃。これは関係妄想か。それとも宇宙の意志か。電波が自分に、重大ななにごとかを伝えようとしている……そのようなことを疑わずにおられぬ今日この頃。これも共感力のなせる業。
今夏は、霊に憑かれるかも知れぬ……。

余談であるが、Aは、今ではすっかり健康を取り戻し、「氣」の研究をしている。

初出:新潮

[`evernote` not found]

0311text(電書版・テキスト版)無料公開

■0611テキスト公開です。
0611text ePub版
0611text PDF版
毎月11日の出来事を(自分を観察する)観察日記のように書く試みです。
2011年3月11日をスタートとして1年間続けていきます。
プロジェクト概要を米光一成がskypeとfacebookで発表し、賛同者がメールで送ってくれたテキストをまとめたものです。

ここからダウンロードできます(無料です)。
0311text ePub版:iPhoneやiPad(iBooksなどのビュワーで読めます)
0311text PDF版

0311textの複製、配布、引用は自由です。
記名テキストなので改変は不可とします。
出所として以下のURLを読者が参照できるように明示してください。
こどものもうそうblog:0311text
http://blog.lv99.com/?eid=1081543

2011年3月11日、37人のリポートです。→39人に増えた。
*前書いてた人数は数え間違いだった(ごめん)。
以下、テキスト版です。

0611text
2011年6月11日:米光一成:東京豊島区:男46歳:宣伝会議の編集ライター講座の講師。80人強でワークショップ。発想のトレーニングをして、サウンドスケープ。ものすごく刺激的だった。その人がその場所にいることで聞こえるただ唯一の音があることが理解されることの驚きと、それを共有できた空間の強さ。そこにいるあなたは唯一無二なのだということを、どうしてぼくたちはいつも忘れてしまうのだろう。講座の後、質問やらなんやらで残ってくれてた人数が減ったところで茶店へ行って雑談。2011年6月11日:小熊直人:東京都文京区:男34歳:9時起床。午前中はテレビを眺めながらボーッと過ごす。午後、西武池袋で父の日のプレゼント探し。毎年焼酎を送っていたのだが、今年は手術したばかりのため服に変更。夏のエコ節電アイテムとしてテレビでも特集されていた「おしゃれステテコ」売場の活気がすごい。父が選ばなそうなピンク地のステテコを購入後、お茶でも飲もうかと屋上テラスに登ってみたらビアガーデンがもう始まっていた。17時、フットサルのため新宿三越屋上へ移動。途中、紀伊國屋書店の前の道路に警察の装甲車が5台以上並ぶ異様な光景を見て、アルタ前で反原発デモをしていたことを思い出す。21時、フットサル終了。三越を出たら装甲車はまだ並んでいた。2011年6月11日:梅田徹:横浜市:男:42歳:朝から息子10歳と二人で日本科学未来館に行く。新橋駅で初めて、未来館がこの日3ヶ月ぶりの開館であることを知る。シンボル展示「ジオ・コスモス」、アシモの挨拶などを観たあと、東京理科大生によるサイエンスフェア「みらい研究室2011」へ。生物学・数学・天文学・電子工学…。さまざまなテーマ、ワークショップがある中、息子の心はほぼ終日「ニソコン」会場の二足歩行ロボットたちにあった。秋葉原のロボット専門店の店長と知り合い、名刺をいただく。帰り、1日遅れで復刊「WIRED」誌を購入。夜、かろうじて思い出し、遅い時間に妹に電話。誕生日おめでとうを言う。2011年6月11日:深川岳志:東京杉並区:男52歳:妻に頼まれ歯科に紹介状を取りに行く。帰りにカボチャと干し椎茸と挽肉を買った。「OurChoice」をダウンロード。「法医学捜査班」6話、7話。「心理探偵フィッツ」の26話、27話を観る。フィッツは戦争後遺症がテーマでアメリカ人を徹底批判した内容。山積みになっていた衣類を洗濯乾燥し夕食に具だくさんのうどんを作った。仕事と向き合う気力がなく「ヒューマン・ターゲット」も観てしまう。こちらはアメリカのよくできたエンターテインメント。いまところ私は人間の心の暗闇と苦痛にみちた日常を描く英国ドラマに傾いている。夜中に息子と絵文字文化について対話。数冊の本を渡す。2011年6月11日:長崎友絵:東京板橋区・新宿区・千代田区:女32歳:「午後から曇り」の予報にかけて、小降りのなか傘を持たずに出社。めがねについた水滴をみた同僚が苦笑していた。この雨粒にも放射性物質が含まれているのだろうか。コンサートでの物販のため、午後から日比谷野音へ。予報どおり、雨あがる。荷物を積んだ重いキャリアーは同行の男性に頼んだ。序盤、MCが全国で行われているデモに言及。Twitterでは新宿のデモの写真が流れてきた。チンドン屋が先頭きってねり歩いている。あちらでも音楽が流れている。「アンコールはありません。気をつけて帰って下さい。」の一声で、さっぱりと終演。21時ごろ撤収、軽くなったキャリアーを引いて地下鉄の駅へ歩く。途中、雲の切れ間から月が見えた。2011年6月11日:高島知子:東京世田谷区:女33歳:特別に差し迫った仕事のない土曜日。録画しておいたAKB48の深夜番組で総選挙の様子を見て、壇上で泣きながら語る姿にもらい泣きする。夕方、自転車で恵比寿へ。アトレの有隣堂へ行き、前日に発売になった編集を担当した新書の様子を確認、「新書ベストランキング」のパネル下に置かれていて小躍り。許可を得て写真を撮る。その後アート施設のNadiff内G/Pギャラリーにて、友人の写真家・小山泰介くんのトークライブを聞く。名和晃平さんとコラボした作品群「SANDWICHTextures」の、名和さんが使う大小多数の水晶をインクに浸して撮ったものは、水晶が月のようにも蛍の光のようにも見える。白いインクに浸したものは細胞のよう。2011年6月11日(水)朝比奈綾:静岡県静岡市葵区:女38歳:昨日から起きている。今日から3日間夫と東京に行くので、その間のしごとを前倒しでコツコツと。なかなか終わらない。エクスプレスカードの予約を2回変えて新幹線の予約を遅らせる。午前中、東海道新幹線は大雨で一時止まっていたらしい。駅にむかう途中、中央郵便局に寄る。速足だったせいで「速達なら大阪より西でも明日届くんでしょうか」などと窓口に確認している間も汗がふきだす。郵便局はエアコンを切っている。4月に来たときと同じく、東京駅はうす暗かった。暗くても不自由な感じはしない。でも眠くなる。マスクをしているひとは新幹線のホームに1人いた。2011年6月11日:佐藤忍:東京目黒区:女60歳:渋谷区。松田里奈Vn.と金子鈴太郎Vc.の私的なコンサートに招かれた。表参道のフォトスタジオ。246にチャリを停めようとすると鍵を忘れて来ていた。薬局で教えてもらった金物屋は歩道橋の先にあった。やっと席に着く。バッハ、ピアソラ、ラヴェル、ヘンデルの楽曲が圧倒的に耳に迫る。その後人々は食物飲物を買いにいったん巷に散った。小じゃれたタコ焼き2箱を買って戻るともう即席のテーブルに載り切らないほどだ。自分はチャリだったのでお茶にした。9時で失礼した。再びび246の歩道に立つと夜風が暖かい。新しい鍵の番号を思い出せない。番号プレートは? 小銭と一緒に震災義援金のカゴの中だと気付く。階段を降りる。カゴにはなかった。その小片は床にあった。「1463」だった。2011年6月11日:松永肇一:蒲田:男51歳:文学フリマの日。電書が届くのを待つ。フリマの開場は10時なのに11時になっても電書は来ない。催促のメールを出して、朝ご飯。娘がスクランブルエッグを作るのを手伝う。そこへ電書が届いたので、トーストを焼いている間にPCに向かって設定。もうひとつの電書は間に合わなかったようだ。トーストを食べてフリマの会場に向かう。今年の「bnkr」は、売り上げが伸び悩んでいる。判型、テーマ、売り子、陳列の仕方をあれこれ考えるが結論は出ない。会場で目のあった青年の売る「俺の不都合な生活」を買ったら満面の笑みで感謝される。もう夕方だったが売れたのは二冊目だそうだ。打ち上げでビールを飲んで帰宅。2011年6月11日:仔芝健:神奈川県川崎市:男26歳:某心療内科。木目調の扉の中から「どうぞ」と声が聞こえ、僕は扉を開ける。窓の外は薄暗かったが、照明のおかげでデスクと本棚しかないシンプルな部屋の角まで見渡すことが出来た。デスクに座ったガリガリに痩せた女性は、僕の方をちらりとも見ずにパソコンのキーボードを叩きながら「調子はどう?」と聞いた。僕は隣の椅子に座り、良好だと答えると、彼女はこちらを振り向き「そう、良かった」と笑顔を見せた。一通り近況を報告し、お礼を言って部屋を出ようとした時「あの大震災から、東京でも患者さんが増えているのよ」と彼女は呟いた。僕は曖昧な返事をして、待合室へと戻った。2011年6月11日:海猫沢めろん:東京都文京区:男36歳:自宅。このところ微妙に目覚めが悪い。起きてまず軽く昼食。あなごめしと豆腐入り回鍋肉、野菜スティック。図書館へ。平凡社『シュルツ全小説』返却。予約していた「ワルツ・フォー・デビイ+4」を受け取る。帰りに薬局で蚊取り線香を買う。家に帰って遅れている原稿の続き。どうにか明日終わらせたい。夕方ランニングに行く気にならず、永沢哲『瞑想する脳科学』すこし読み進める。夕食はキャベツ麻婆と玄米。夜、弟とその彼女がやってくる。婚姻届の保証人サインする。風呂に入って寝る。2011年6月11日:柿崎俊道:東京都世田谷区:男35歳:早朝に起きて、コミPo!マンガを進める。昼、お友達のひかるちゃん先生が教えているプレゼンテーション技法(技能?)に誘われて、湘南台の慶応大学SFCへ。大学生たちに交じり、ワークショップを受ける。622に予定している「アニソンクレイジーパワーナイト」の宣伝も兼ねていたつもりだったが、宣伝になったかどうか。その後、駅近くの「やっさいもっさい」で学生たちと飲み会。帰り際、「海合宿も来ますよね!?」と学生たちから誘われるが、こういう元気なノリはもう無理かも、と笑ってごまかす。夕方、疲れて帰宅。家に戻り、コミPo!マンガを粛々と進める。2011年6月11日:中村隆之:東京都国分寺市:男43歳:自宅、土曜日なのですこしのんびり。午前中、次女と長男と近所の”けやきモール”に、昼食の食材と息子の傘の買い出し。リニューアルオープンしたスーパーで買い物、茨城産果物の安売りが目に入る。帰宅して、特製ラーメンを調理、自画自賛。午後、次女を耳鼻科と塾へ送る。そのまま僕は、”同化p”の同人誌を作ってくれるというメンバーと合流。会社で、木曜日に続き2度目のインタビューを4時間にわたり受ける。19時すぎに帰宅、久しぶりに家族揃って夕食。深夜、AppleTVにて、”TRON LEGACY”を一人で鑑賞。2011年6月11日:朝倉かすみ:東京都豊島区:女50歳:自宅。お昼ころ起きて、仕事。連日朝5時起床をつづけていたのに、昨日からストップ。無念である。震災関係で、このところ気になるのは、「このたびの東日本大震災で被災されたかたがたへのお見舞い」を挨拶文冒頭に持ってくること。某社から届いた人事異動を知らせる葉書も、キッチリ持ってきていた。「そんななか、弊社では人事異動を」と本文に入っていくのだが、なんかふしぎ。「かたち」というものの、ふしぎ。原稿を書くあいまに、日に何度も何度も何度もログインするmixiアプリ・サンシャイン牧場の畑レベルは「これにて打ち止め」の70に到達。なお、畜産のレベルは現在46。2011年6月11日:小長谷久子:東京都世田谷区:女23歳:朝方まで作業し、昼頃起床。休みなのをいいことに、更に二度寝。そういえば今日は11日だと気付く。twitterで「きょうは6月11日か。」とつぶやく。のろのろと洗濯やしたくをすませ、17時半青山一丁目で待ち合わせる。目的のお店を出ると、周辺をうろうろしたり時々写真を撮ったりして時間を過ごす。閑散とした駅ビルの地味な喫茶店でお腹を満たし、席の近くに置いてあったオセロで一戦交える。わたしの圧勝だった。新宿で本屋に寄り、目当てのものを購入し京王線に乗り込む。2011年6月11日:下司智津惠:神奈川県川崎市:女性:43歳:8時半ごろ起床。学童の特別プログラムで、レスリング教室に参加する娘用のお弁当を詰めてから、授業参観と懇談会、PTA主催の懇親会のため、息子の中学へ。雨の中、3時間目の英語の途中で到着。息子と同じクラブで同じクラスのお母さん達に会い、ランチの約束をする。学食でお昼。塩ラーメン。学年委員で待ち合わせて、懇親会のお茶とお菓子を受け取りにいく。全体会で入試に受けたコース選択の話などを聞いたあと、各教室で中間テストの結果をもらった。全体会では、放射線測定の話もあった。いろいろ気を使いつつ懇親会。終了後、PTA便りに載せる先生方の写真を撮りに回る。チーズとトルティーヤチップとアイスを買って帰宅。息子作のパスタと白ワインで夕飯。デザートに宇治金時を食べた。2011年6月11日:藤山京子:東京台東区:女26歳:12日の文学フリマのために電書を作る。ポスターも作る。チラシも作る。チラシに煽り文句を書く。「取調室で僕と握手!」何となく文学フリマホームページを見ると、次回は11月で規模が大きくなるとトップページに。次は何のテーマで本を出そうか、後輩としゃべる。昨日の飲み会で食べ過ぎたせいか、胃が重い。でも今日も飲み会。明日も飲み会。多分明後日も飲み会。2011年6月11日:飯田和敏:新宿;男42歳:午前中、震災で全壊した海中水族館の復興計画を知ったので頼まれてもいないのに勝手にあたらしい水槽を妄想。現実と虚構の魚が同等に飼育される水槽…、鑑賞者の思いが時空を超えて攪拌されていく水槽…。午後は新宿のサウンドデモに参加。大ガード下に進入したところで『ロック”ザ”カスバ』がスピンされた。高架下でしかありえない複雑な反響と頭上を通過する電車の轟音が合成される。この路線は人身事故がやたらと多い。大ガード下には数人の特定のホームレスが定住している。彼らが横になっている傍らを推定2万人のデモ参加者が通過していく。何事もないというクラッシュ。夜はバンド練習。じゃがたらの『みちくさ』、「とんだところでみちくさしちまったぜ」を反復。2011年6月11日:加藤敦太:愛知県愛知郡:男23歳:よく眠り、昼過ぎに起きる。起きてスリッパを見ると奥のほうに猫の毛玉汁が入っていた。夏を感じる。100円のぼろぼろのだったので、洗うよりか買い換えることに。昼食後、録画したTV番組を観る。締め切りを確かめて、モニター文を書くのは明日にする。その後外出。お歳暮の予約に近くのイオンに行く。クーラーがぬるい。石屋の店頭のビリケンをさわってから食品売場に。青果コーナーからドリアンが消えていておどろく。お歳暮注文後、がらがらを回させてもらったら取っ手にさわった瞬間に白い玉が出て落ちこんだ。ぽたぽた焼きもらって帰宅。2011年6月11日:三浦天紗子:東京都新宿区:女47歳:午前中は雨。傘を差して渋谷にあるダンススタジオへ。イベント用の練習を終えて、同じビルにあるカフェでお昼を食べる。混雑しがちな渋谷のカフェのわりに、座席数も多くて穴場。偶然見つけたことを喜ぶ。ランチの後、山手線に乗って目白で一度下車、自宅へ戻ってレインブーツをスタッズ付きのパンプスに履き替える。自宅前からバスで池袋に移動。たまらなく眠くて、寝ててバス停を降り損ねる。月一回の書評講座の日。ゲスト書評家は円堂都司昭さん。打ち上げは「北海道」という居酒屋にて。放射能や地震に心のどこかでおびえながら、日常が戻ってきている。夜9時半頃帰宅。明日は福島に行く。寝る前にその準備。2011年6月11日:近藤英明:埼玉県さいたま市:男45歳:体調不良で、ほとんど床に臥せっていたような一日だった。梅雨による湿気と、クーラーを入れたせいもあるようだ。時折、起きてCSでニュースや映画を見る。「あの胸にもういちど」という映画の主演女優が、革ジャンでバイクを乗り回すシーンを見て、峰不二子の元ネタはこれかな? と思う。たくさん映画を見ていると、色々な発見がある。それが一体自分にとって何の役に立つのかは不明だが。原発関係は、あまり意識にのぼらなくなった。むしろこの観察日記のことを考えると、意識に浮上する感じになっている。中部大学の武田邦彦教授という人のブログ以外はあまり見ない、というスタンスであえて情報をしぼっているせいかもしれない。2011年6月11日:千野帽子:京都市中京区→長野県飯田市→東京都新宿区:男46歳:5時40分起床、細君の手を煩わしつつ朝食。新幹線で名古屋へ。名鉄バスセンターから高速バスで長野県飯田市伊賀良バス停に9時45分着。2鞍乗馬。午前中はグリッドワークで、生まれて初めてクロスバーを飛ぶ。おもしろい、けど目の前で友人が落馬してプロテクタのエアバッグが膨らむのを見たので、障碍馬術への志向が湧くほどではない。午後の課題は駈歩発進。夕方、伊賀良バス停より高速バスで新宿に9時過ぎに到着。角川書店から翌日の文学フリマ手売り用『読まず嫌い。』がホテル宛に届いている。「東京マッハ」の準備をして就寝。本日の読書、ノースロップ・フライ『批評の解剖』の「第三エッセイ」冒頭部。2011年6月11日:島影真奈美:東京新宿区:女37歳:翌12日に控えた文学フリマの準備。イラストレーターで貼りこんだ画像が一カ所だけキレイにPDF変換されず悪戦苦闘。フォトショップで画像を加工したり、印刷してスキャナでとりこんでみたりしてみる。そういうしているうちに取材の時間。恵比寿に向かう。外はどしゃぶり。取材相手の方は同郷で、大学も同じ。仙台と剣道の話で盛り上がる。取材が終わり、外に出るとすっかり雨が上がっていた。恵比寿ガーデンプレイスのベンチに座ってもらい、撮影。事務所に戻り、再び電書制作。MacBookProに向かい続けて1日が終わる。でも、電書制作は終わらず。2011年6月11日:katsumaki:東京都港区:女26歳:昼過ぎに目覚め、日ごろたまった疲れを癒しに整体へ行く。帰宅後は今度のイベントに備えて作業をしたり、たまっていた細々とした用事を済ませる。それから、古くなった枕を処分したので次に買う枕をネットで物色した。部屋では暑さと湿度の高さで長毛種の猫がツラそうにしていたためクーラーをつけてあげた。部屋を冷やすと、先ほどまでの様子が嘘のように猫が元気になった。2011年6月11日:山田新:東京都杉並区:男41歳:飯能。会社のゴルフコンペで飯能まで。花見の時期にあったような自粛ムードもいつのまにか薄まり、普通にゴルフコンペが行われるようになった。朝方は激しい雨だったが、なんとか無事にラウンドを終える。帰宅後、まだ赤ちゃんが起きていたのでしばらく遊ぶ。しきりにおしりを持ち上げて、頭から床に突っ込むことを繰り返す。あと腕の使い方を覚えたら這い這いを始めそう。そろそろ柵囲いが必要になってきた。赤ちゃんが寝た後、録画してあったジャックニコルソン主演の映画「さすらいの二人」をみる。2011年6月11日:木村裕之:東京都渋谷区:男30歳:仕事が大変忙しい状況にあり、土曜だが朝から出社する。朝から雨。他の人もきているかと思ったが、しばらく自分だけであった。昼から、現状の進捗について外部の方と電話やスカイプでやりとりを行う。やりとりの最後、夜になり外部の方のお母様が未明に亡くなられ、明日からお葬式であることを聞く。そういう状況であるのに無理に仕事をお願いする状況が先週から続いており、呆然とする。別の方も、プロデビューの案件を抱えながらこちらの仕事を手伝っている。同僚の一人もこなかったし、あまり今日は進まなかった。だが、香典だけは渡しに行こうと思い、深夜にオフィスを離れた。2011年6月11日:唐木厚:埼玉県所沢市:男46歳:ゴルフ場:今日は社内のコンペのため、朝からゴルフ場に向かう。場所は飯能なので自宅からは近い。午前中は雨の中のラウンド。初めてのコースで、コンディションも悪かったため苦労する。終了後は、飯能駅の近くで打ち上げ。7時ごろ帰宅。『信長協奏曲』2~4巻を読む。続けて、「新宿鮫」シリーズの新刊『絆回廊』を読む。2011年6月11日:佐藤福子:静岡県沼津市→伊豆高原:女33歳:目覚ましより前に雨風が窓を叩きつける音がして、まじかよー!と思いながら起きる。夜まで何も出来ないと思ってFacebookに立ち上げたダレン・クリスのファンページに1枚写真を載せてから出社、会場へ出発。天気は嵐のまま。天候による設置場所の変更が多々あり、ちょっとどたばたする。不思議なことに、お客様がいらっしゃったり新郎新婦がお写真を撮ったりする時間だけ小雨になったり晴れたりするので、気合勝ちだと思う。移動中知り合いの茶畑の前を通り、今年お茶どうなるんだろうと話す。知り合いが当事者になると正直、規制、流通、微妙なライン、確実にダメ、全てがわからなくなった。

[`evernote` not found]

新刊のお知らせ

トップのバナーでもお知らせしていますが、7月26日に新刊『ニコニコ時給800円』が、集英社より刊行されます→こちら
装丁は前回と同じく名久井さん(いつもお世話になっております……)。
装画は「塊魂」の絵を担当している、クリハラタカシさんです。
ポップですがよく見ると毒のある装丁です。書店でながめるだけでも楽しいのではないでしょうか。

発売が近くなったらまたお知らせします。お楽しみに!

[`evernote` not found]